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■小説 上原半兵衛剣客列伝 青江又八郎の巻 二

「お約束の一月でございます。お蔭様をもちまして、あのならず者もぱったり姿を見せなくなりましたばかりか、娘の行状までもがすっかりと落ち着きました。また何かの折には、ぜひともお力添えを願いたく存じます」
 三笠屋は深々と頭を下げて、袱紗包みを半兵衛の方へ滑らした。
 その場ですぐさま金高を改めるなどといったことは本来、武士としては、はしたない行為ということになるのだろうが、
「これも一応、商売じゃからのう」
 言い訳しいしい、ちらと覗いてみると、五両入っていた。
 二日で一分の約束だから、三十日では三両三分であるはずで、一両一分は祝儀ということになるのだろう。三笠屋が半兵衛のことを高く買っていることを示すものだ。
 三笠屋は、安吉が美和に寄り付かなくなったのは、半兵衛が安吉の文使いの役を取り上げたからで、今は半兵衛がその役を務めているなんてことは知る由もないのだから、無理はなかった。もっとも、そのことによって、安心して恋しい相手と文のやり取りができるようになった美和が、淫乱娘などと後ろ指を差されていたのがまるで嘘のように、すっかりと落ち着いたのは、半兵衛の怪我の功名と言ってよいだろう。
 しかし、それも今日で終わりだ。
「どうしてやれば、良いものかのう」
 父親とはまったく逆の視点ながら、半兵衛も美和のことを心配しているのだ。
 もっとも、そんな殊勝な気持ちは、三笠屋から一歩外へ出た途端にどこへか消え去ったものと見えて、半兵衛は、道場のある深川とは正反対の浅草へ向って、糸の切れた凧のように飛んでいく。
 行く先はむろん吉原。萬字楼である。

 いつもであれば、無い袖を振り、やっとの思いで登楼するのであるから、通ぶってはいられない。
 なけなしの金で目いっぱい遊ぼうという、野暮なことこの上もない客にならざるを得ないのだが、今日は懐に五両もの金がうなっているのだ。
 五両では総揚げなんて真似は到底できないが、綺麗どころを集めて、飲んで騒いで。心づけを出し惜しんだりせず、引け前にはさらりと帰る。もちろん、金は泊りの分だけ払って行くのである。
「あれ、まあ。お珍しいことでござりいすなあ。またの時には、きっとゆっくりして行っておくんなましよ」
 花魁に、潤んだ声で言ってもらって、大いに気を良くした半兵衛だが、
「あ、あの……」
 恥ずかしげに袖を引いたのは、
「おー、そなたは確か武之介の相方の、藤紫じゃったかのう」
「あい。今度お越しの折には、きっと武之介様をお連れ下さいましよ」
 藤紫の頬がみるみる紅くなっていくのが、白塗りの化粧を透かしても見て取れる。
「あのぼんくらが、なんでこんなに持てるんじゃぁっ」
 心の中で叫びながらも鷹揚に笑って、
「おお、よしよし。今日はあやつめ、ちと都合が悪くて来られなんだのじゃが、次はきっと、首に縄を付けてでも連れて参ろうぞ」
 負け惜しみの高笑いをして見せたのであった。

 そのころ、道場では……
「遅うございますわね、伯父上様……」
 歌代が、柳眉をひそめた。
「あ、そういえば今日は、お戻りになるのでしたね。ちょっとわたしが行って見てきましょう」
 と武之介が言うと、歌代の目がキラリと光った。
「伯父上様の行かれる所など、たかが知れていますわ。武之介さんお一人では、心もとのうございますから、わたくしもご一緒いたしますわ」
「え? えぇ~?! 本気ですか、歌代さんっ!」

 さて、女手形をもらえば、女性でも吉原の大門をくぐることはもちろんできるが、いかにも武家娘といった身なりの歌代は、やはり目立った。
 ただでさえそうであるのに、
「まあ、きれい。吉原には夜が来ないなんていうことを聞いていましたけれど、本当に明るいのですねえ」
 大はしゃぎしているのだから、武之介は気が気ではなかった。
 半兵衛の伴をしているときなら、緊張して、しゃっちょこばって、ろくに口も利けない有り様なのだが、今日は固まっている暇すらない。
「あら、あそこに伯父上様が。伯父上様~っ! 今日はお帰りになるとおっしゃるから、お好きな物を沢山用意してお待ちしておりましたのに、こんな所で油を売っていらしたのね!」
「あっ、歌代さん、混み合っているんですから、走っちゃ危ないですよっ……うわっ。痛たたた……」
 もみくちゃにされている武之介を尻目に、歌代は、人込みをすいすいとすり抜けて、駆けて行った。

 帰り道。
「まったく、そなた達にはあきれるわい。子どもではあるまいし、なにもわざわざ迎えになど来ることはないのじゃ」
 半兵衛は、おかんむりの様子であったが、
「あきれているのはこっちですわ。道場主ともあろう者が、ご酔狂で一月も道場を空けて、ようやくお戻りになるかと思えば、こんな所にいらっしゃるなんて」
 と、歌代も容赦無い。
 うっかりどちらに荷担しても、後でとばっちりを食うのが目にみえているから、武之介は、あいまいに相づちを打つにとどめて、目立たないようにしていたのだけれど、
「まあ! 一晩で五両、使い果たされたですって?!」
 歌代の悲鳴に近い金切り声には、さすがに驚いて、
「えええっ、五両?!」
 叫んで、じろりと半兵衛に睨まれた。
 五両もあれば、もし門弟が一人もいなくなっててもこの貧乏道場、二月や三月はびくともしない。
「うるさいわいっ。このわしが、汗水流して稼いだ金じゃ。どう使おうが、わしの勝手じゃぃ!」
「そーですか。ではわたくしも、お内職したお金は全部、着物やかんざしを買うことにしますわ」
「むむむ……」
 なおも言い募ろうとしていた半兵衛が、不意に眉をひそめて真剣な表情になった。
 丁度神田にさしかかり、くだんの三笠屋が見えてきたところ。
 その、三笠屋の様子がおかしかった。
 明かりはすべて消えているのだが、寝静まっているとは思えない、何か不穏な空気を武之介も感じ取った。
「細谷。おぬしは裏口へ回れ」
 半兵衛の青江又八郎は、どうやらまだ終わっていなかったらしい。
 細谷というのは又八郎の相棒だった浪人なのだが、無類の酒好き、女好き。おまけに五人も子どもを抱えていたということだ。
 とんだ役回りだと思いながらも、武之介は走った。

 さて、半兵衛はというと……
 三笠屋の表戸は、たいていの商家がそうであるように、頑丈に戸締まりがしてあった。
 しかし、すでに賊が侵入しているのは、間違いない。悠長なことはやっておられぬとばかりに、体当たりを繰り返すこと数度。ついに鎧戸を破ることに成功した。
「三笠屋殿っ!」
 中に踏み込むと、血のにおいがした。遅かったか?! 一瞬、背筋が寒くなったものだが、
「あ、青江様ではございませんか」
 よろよろと出てきたのが、他ならぬ三笠屋徳兵衛で、
「おお、三笠屋殿。無事でござったか」
「は、はい。手代が一人、怪我をいたしましたが、命に別状ございません。賊は、手文庫の金を奪って裏から逃げましたが、どうやら……目当ては娘だったように思います……」
 案外に、しっかりした声で答えた。
「さようか。少々、駆けつけるのが遅かったようじゃのう」
「めっそうもない。青江様が来てくださっただけでも、勇気百倍でございます。しかし、一体どうして……」
「わはは。わしのような腕の良い用心棒がおる間は、賊の方も用心をして、うかつなことはせぬものじゃ。じゃから、これからしばらくは油断がならぬと思うて、様子を見に参ったのじゃ」
 ぬけぬけと言った。
 三笠屋の話によると、賊はまっすぐに美和の部屋に押し込んだらしい。しかし、美和が声を上げて騒いだため、起き出してきた家の者を刃物で脅し、幾ばくかの金を奪って逃げたのだが、その際、真っ先に駆けつけた手代の清七ともみ合って怪我をさせた。
 賊は、たった今、裏から引き上げたばかりだと聞いて、半兵衛は慌てて庭へ飛び降りた。

 一方、武之介である。
 三笠屋の裏口は、武之介が押してみるまでもなく、開いた。
 今まさに引き上げようと、賊の一味が飛び出してきたところで、
「うわっ」
 武之介も驚いて尻餅をついたが、向こうも驚いたのだろう。つんのめったところを、
「えいっ」
 歌代が、いつ、どこで見つけてきたのだろう。棒で、後頭部をポカリとやったら、手も無く倒れた。
 転瞬、危うく体をひねって立ち上がり、下敷きをまぬがれた武之介が、鞘ごと抜いた刀で続いて出てきた曲者の向こう脛を払うと、そいつももんどりうって、あとは将棋倒しである。
 合わせて四人の曲者を、二人でボコボコ殴って、
「さ、これで縛り上げてしまいましょ」
 歌代が、ためらいも無くしごきを解いたものだから、武之介はくらくらした。

「でかしたぞ、武之介。……いや、細谷」
 いつやってきたのだろう。半兵衛である。
 何か言いかけたらしい口が、歌代を見て開きっぱなしになった。
「う、歌代……。なんちゅー格好をしておるのじゃ?!」
 歌代は、澄ました顔で、
「とっさの事で、手頃な縄が他に無かったものですから」
「ぶわっかもん。刀の下げ緒というものが、あろうが。それで足りなければ、武の帯でも褌でも外させて使えばええ」
 無茶なことを言う。
 曲者にしたって、若い娘の腰帯ならばまだしも、男の褌で縛り上げられたくはなかろう。
「あ、青江様。これは……!」
「おー、三笠屋殿。賊はこの通り、ひっ捕らえましたぞ」
 なんだか知らないが、半兵衛の手柄になっている。
「それで、こちらのお二方は」
「おお、これは門弟の武之介、こちらは姪の歌代でのう。これ、武之介。何をぼやっとしておるのじゃ。早う自身番へ行って町役人を叩き起こしてくるのじゃ」
 おまけに体よく追い払われた。歌代が、くすくすと笑っている。
「笑い事じゃ、ありませんよ、歌代さん」
 情けない顔で愚痴を言いながらも、再び夜道を駆け出す武之介であった。

 さて、だんだん問い詰めていくと、以前美和が色目を使ったことのある役者崩れの芳之助という男が、しかしそれぎり掌を返したように美和に冷たくされて、「金づるをなくした」と嘆いている所を、悪い仲間達がそそのかしたものらしい。
 娘を質に取れば、金蔵の鍵も開けるだろうと思ったということだが、芳之助自身は、美和にも未練があって、できればうまく口説いてモノにしたいと思っていたところが、突然美和が別な男の名を口走り、駆けつけてきた手代にすがりつかんばかりにしたので、かっとなって刺した、ということだ。
「まことにお恥ずかしいことで。娘に隙があるから、このような騒ぎにもなるのでございます」
「まあ、まあ、三笠屋殿。して、美和殿は今、どうしておられる?」
「はい、泣きながら清七に付ききりという有様で……」
「ふむ。のう、三笠屋殿。なぜ美和殿が、いざという時に、特に清七の名を呼んだのか。なぜ清七が、我が身の危険を顧みず曲者にむしゃぶりついていったのか、お分かりであろうのう」
「は、まことに……怪しからぬことで……」
「それ、それ。それがいかぬのじゃ」
「はあ?」
「美和殿は、決して淫らな娘御では、ございませんぞ。清七に一途に惚れておってのう。しかし、三笠屋殿が耳を貸そうともせず、大店の次男、三男を婿にすることばかり考えておられるゆえ、一計を案じたのじゃ。自分に悪い評判を立て、縁談を片端から壊して、婿のなり手がなくなれば、仕方もない。店の中でも仕事のできる者を入り婿に、ということになるだろうとのう」
「なんと、浅はかな……」
 苦虫を噛み潰したような顔を、三笠屋はした。
 半兵衛は、(実に珍しいことだが!)辛抱強く、食い下がった。
「浅はかではあろうがのう、とかく一途に思いつめた娘御というのは、後先のことが見えなくなるものじゃ。心中なんぞという騒ぎにならずに済んで、良かったではないか」
 三笠屋の顔に、動揺が走った。
「幸い美和殿は、前向きな娘御で、清七もしっかりした男だった故、そういうことにはならなかったが、この上二人を引き裂けば、またぞろ何を考え出すか知れたものではござらんぞ」
 畳み掛けるように言って、立ち上がった。

 その後……
 捕らえられた曲者どもが、お仕置きになったのは、もちろんのことだが、傷の癒えた清七が、上方の本店にやられたと聞いて、余計なことをしてしまったかと、さすがの半兵衛も少ししゅんとした。
 しかし、その一年後。
 本店でみっちり修行をさせられた清七は、江戸へ呼び返されて、正式に三笠屋の婿として迎えられた。
 祝言の日には、上原道場にも祝儀の酒樽や、八百膳の料理が、たくさん届けられ、挨拶にきた清七と美和は、
「その節は、大変お世話になりました。青江様も、お変わりなく……」
 顔を見合わせて、くすくすと笑った。
 半兵衛の本名が知れた今でも三笠屋では、半兵衛のことを青江様と呼び習わしているということだ。




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