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■小説 上原半兵衛剣客列伝 宮本武蔵の巻

「大変、大変。武之介さん、ちょっと来てください」
 ころころ笑いながら、歌代が飛んできた。
 なるほど、これは大変だ、と武之介は思った。
 こともあろう、半兵衛師匠が、朝っぱらから道場で、木刀を振り回しているのだ。こんなことは、真夏に雪が降るよりも、珍しい。
 しかし、何より異様だったのは半兵衛が、右手と左手とに一本づつ、あわせて二本の木刀を、めちゃくちゃに振り回しているということだ。
「えいっ。とうっ。どりゃぁっ!」
「し、師匠。一体どうしたんですか……?」
「どうしたも…こうしたも…あるものか。日頃から、鍛練を怠らぬのが、武芸者としての心得じゃ」
 言うわりには半兵衛、息が切れている。
「でも師匠。うちは、いつから二刀流に鞍替えしたんです?」
「二天一流じゃ。何と言ってもわしは、宮本武蔵じゃからのう。ふぉっふぉっふぉ」
 今度は、宮本武蔵か。武之介は、げんなりした。
 宮本武蔵なら、この上原道場とも、あながち無縁ではない。
 半兵衛が教える、神道夢想流杖術の始祖、夢想権之介を唯一破った剣客だ。
 だから半兵衛が、宮本武蔵の真似をしようと思い立ったとしても不思議はない。
 でも、師匠の物好きは、いつでもろくな結果にならないからなあ。結局、とばっちりを受けるのは、俺なんだ。
 そんな武之介の心中を、知ってか知らずか歌代は、
「それじゃあ武之介さんは、伊織ですわねえ」
 嬉しそうに言った。

 岡っ引きがむしろをめくると、無惨にも喉をざっくりと切り裂かれた、侍の死体が現れた。
「ふむ。殺しだな」
「そんなこたあ、先生をお呼びするまでもねえ。分かりきっていまさあ。そんな気のねえ顔をしていないで、傷を改めてやっておくんなさい」
 町方の旦那方の検死は、もう済んでいる。
 殺されたのが、いかにも勤番者風の侍だったため、
「大方、酔った挙げ句に斬り合いでもやらかしたんだろう」
 付近の武家屋敷に触れを出せば、そのうち、屋敷から遺体を引き取りに来て、内々にということで収まるだろうから、
「そう、気を入れるにゃ、及ばねえ」
 と、軽く見ている。
 しかし、長年御上の手先を勤めてきた亀井町の万蔵親分の直感は、そんなことでは納得できなかったものらしく、日頃懇意にしている町医、柏木周庵を引っ張ってきたのだった。無論、周庵にとっては、迷惑千万なことなのだが。
「こいつぁ、刀で突いた傷じゃあねえ。そうでしょう、先生?」
 周庵は、不精たらしく懐から手を出した。
「おそらく、鎌のような物だろう。だからといって、相手が侍でないとは言えんがね。刀に、刃こぼれがあるだろう。これは、打ち合って付いた物じゃない。鎖が巻きついたのだ。鎖鎌だよ。それも、かなりの遣い手だろう。いずれにしても、親分には荷が勝ちすぎるようだ。それで収まるものなら、旦那方の言う通りにしておいたほうが、良いのではないかな」
 だが、そんな事も言っていられなくなった。
 その夜のうちに、第二の犠牲者が、出たからだ。

「もう、三人目ですって」
「えっ? なにがですか?」
「かまいたち、ですわ。武之介さんも、十分お気を付けてね」
 辻斬りといえば、物盗りにしろ試し斬りにしろ、犠牲となるのは無辜の民と相場が決まっていた。しかし、今度のやつは、違う。
 わざとのように侍ばかりを狙って、鮮やかな手腕で倒し、金目の物には目もくれない。しかも、ほとぼりを冷ますという事を知らないらしく、三日続けて現れた。
 そんな人間離れした犯行と、その得物が、鎌のようなものであるらしいということからその辻斬りは、江戸っ子達から、妖怪かまいたちの名を賜ったのだ。
「大丈夫ですよ。わたしは、師匠と違って、夜遊びなんかしませんからね。師匠も今は、宮本武蔵のつもりみたいだから、しばらくは吉原通いも無いでしょう」
 今のところ半兵衛は、道場にこもって、二刀を自在に操る研究に、日夜明け暮れている。
 おかげで道場の財政も、大助かり。
 半兵衛師匠の気まぐれが、道場のためになるなんてことは、なかなかあるものじゃない。
 もっとも、問題がないわけではなかった。半兵衛は、ここ数日、風呂に入らず、月代も剃らず、むさ苦しいことこの上もない。
 それにしても、と武之介は言った。
「こう、あったかくなってくると、頭がおかしくなるやつが、いるんですね。まだしも師匠は、宮本武蔵で幸いですよ」
「でもねえ、武之介さん。伯父上のことですから、その、かまいたちを捕まえるなんて、言い出すかもしれませんよ」
「う、歌代さん……。そんな恐ろしい事を、さらっと言わないでくださいよ~」
 噂をすれば、何とやら。道場の方が、なにやら騒々しい。
「武之介っ……いや、伊織っ。出かけるぞい。世を騒がす不届きな、かまいたち退治じゃ。鎖鎌には宮本武蔵♪ 供をせいっ」
「あらまあ、お出かけですの? 近頃物騒ですから、お気をつけてくださいね。ああ、そうそう、お醤油が切れかかっていました。ついでに買ってきてくださいな」
 武之介は、泣きたくなってきた。

「ばか。こんな時に夜釣りだと?!」
 思わず、周庵の語気が荒くなった。
 河野鯉太郎は、まるで父親に叱られた子どものように首をすくめて、頭をかいた。
「いや、しかし、二尺五寸の鯉が上がったと聞いては、じっとしてはいられません」
 この、父の代からの釣り気違いを止めるのは、労力の無駄というものだ。しかし……
「お手前を、止め立てする気は、毛頭無いが……」
 周庵は、すでに附いて行くつもりで、鯉太郎にくっついている、あいを見た。
「どうして、お前まで行かなけりゃならないんだ」
「だいじょうぶだよ。鯉の旦那がついているからさ」
「ばかもん。今は、それが一番危ないんだ。やられておるのは、どれもそこそこ遣う侍ばかりなのだぞ」
「なら、旦那とは離れて歩いておくよ」
 そういう問題では、ないのだが。
「まあ、いい。勝手にするさ」
 言い出したら聞かないのは、あいも同じで、周庵は、憮然として奥へ引っ込んだ。
 やれやれと息をついて鯉太郎は、
「それにしても、なんだな。前はそれほどでもなかったのに、此中では周庵殿、まるであい殿の親父殿のようではないか」
「ふん、面白くもねえ」
 あいは、鼻を鳴らした。
 それから、鯉太郎には聞こえぬ程度の小さな声で、
「娘じゃぁ、つまらねえよ」
 と言った。

 武之介は、醤油を買ったら、歌代が醤油を待っているからと言い立てて、まっすぐ道場へ帰ろうと思っていた。
 しかし、武之介も、よくよく不運な星の下に生まれついたものらしい。
 そんな相談に入るよりも早く、行く手の四つ辻に、月を背にして一人の男がゆらりと立った。
 殺気が、膨れ上がる。
 男のではない。半兵衛の殺気だ。
 さすがに半兵衛師匠、武之介には分からないが、かの男に何かを感じたものらしい。もっとも、今の状況下では、何も感じなくとも、「出たぁ!」と思うに違いなかったが。
 止める間もなかった。
 半兵衛は、ゆっくりと大刀、続いて脇差を抜き放った。
「我は宮本武蔵。いざ、尋常に勝負っ」
 男は、ふふんと鼻で笑った。
「宮本武蔵、ねえ」
 意外なほど、若い男の声だった。
「それじゃ、俺が、宍戸梅軒というわけか。そいつはちっと、御免被りたいね。俺は、誰にも負けるつもりはないもの」
 一本の棒のように見えていた鎖鎌の刃が開き、ざらざらと伸びた鎖分銅が、彼の頭上で風を切ってまわり始めるまでが、一瞬。
 手妻でも見ているような、鮮やかさだった。
 分銅の回転が次第に速くなり、やがて、まるで生き物のように飛んだ。
 半兵衛は、唸りを上げて飛んできた分銅を、がっきと受けた。鎖が、刀に絡みつく。
 ふむふむ、こうでなけりゃぁ、と半兵衛は、にんまりしながら刀身を立てて、ぐいと引いた。
 宮本武蔵と宍戸梅軒との立ち合いは、武之介も話には聞いている。
 刀が鎖で封じられ、身動き取れなくなってしまったら、こちらの負けだ。鎖鎌の遣い手は、鎖をこちらの刀に絡めたままで、自在に鎌を操ることができるのだ。
 だから、鎖がぴんと張り詰めたところで、大刀から手を離す。そして、それを手繰る一瞬の隙を突いて、脇差を相手の胸に投げつけるのだ。
 だが、その通りにはならなかった。
 半兵衛が刀から手を離すよりも早く、どういう呼吸のものか、刀にかたく巻きついていた分銅鎖が、するりと外れたのだ。
 たまらず、半兵衛はよろめいた。そこへすかさず鎌が、飛んでくる……
 ガシャン!
「うぎゃぁ~ッ!」
 ちなみに、ガシャンというのは、武之介がとっさに放った醤油の入った徳利を、鎌が打ち砕いた音、「うぎゃぁ」というのは、その破片と中身の醤油をまともにかぶった半兵衛の悲鳴だ。
 武之介のことは小者と見て、あまり気に留めていなかったのだろう。さすがのかまいたちも、これには虚を突かれた形となった。
 この機を逃さず突っ込んでいれば、あるいは勝負はあったかもしれない。
 しかし、半兵衛は醤油まみれで尻餅をついている体たらくだし、武之介も、抜刀するのが精一杯だった。
 ともあれ、武之介の気転がなかったら、今ごろは、半兵衛の首と胴が泣き別れになっていたのに間違いない。
 武之介は、抜き身を下げたまま、ゆっくりと前へ進み、半兵衛に並んだ。下手に構えると、自分の未熟を見破られそうで、怖かった。
「鎌の刃が、こぼれたのではありませんか」
 膝は、がくがくと震えていたが、思いの外しっかりとした声が出た。
 かまいたちは、乾いた声で笑って、
「こんなことで刃こぼれするほど、やわな鎌じゃあないよ。あんたの首で、試してみるか」
 再び、分銅が回り始める。
 武之介も、ようやく刀を正眼に構えたが、頭の中は真っ白だった。
(徳利を割って、醤油をみんなこぼしてしまって、道場に帰ったら、歌代さんに怒られるかなあ……)
 現実逃避なのか、どうでもいいようなことが、頭に浮かんでくる。
 と、不意に……
 ヒュン、という鎖分銅の唸りよりも、高く、鋭い音が響いた。
 分銅の回転が止まり、だらりと下がる。ざらざらと、鎖が手から滑り落ちた。かまいたちは、まるで操り人形のように手を上げたまま、苦痛に顔を歪めて、身動き取れないでいる。
 今だっ……!
 わけは分からぬまま武之介は、夢中で走り、峰に返して渾身の一撃を、かまいたちの胴に見舞った。
 がくりと、かまいたちが膝をつく。武之介も、へなへなとその場にへたりこんだ。
「でかしたぞ、伊織! 早く番屋へ行って、事の次第を、報告してくるのじゃ!」
 しかし、武之介は、立ち上がることができなかった。完全に、腰を抜かしてしまっていたのである。ふっと途絶えかかる意識の底で、
「旦那も、お人好しだのぅ。手柄を、みんなやっちまうのかぇ?」
 そんな声を、遠くに聞いた。

 後日の調べで分かったことだが、かまいたちは、川越に住む浪人で、浪人とはいえ、姉の嫁ぎ先が裕福だったため、暮らし向きは豊かだった。武芸好きがこうじて、剣術だけでは飽き足らず、鎖鎌まで習い始めたが、天性の才能か、あっという間に師匠を打ち負かすことができるほどにまで上達した。
 それで天狗になり、「江戸へ出て、俺の実力を試すのだ」と言い捨てて、師のもとを出奔した挙句に、今回の凶行に及んだものらしい。
 調べに対して半兵衛は、
「まことに、鎖鎌というのは恐ろしい武器じゃのう。わしも、危ういところじゃった。ま、最終的にはわしが勝ったのじゃからして、所詮、鎖鎌など二天一流の敵ではないのじゃよ。わっはっは」
 と、語ったという。
 そして、今、道場では……
 鎖鎌には懲りた半兵衛は、箸で、飛んでいる蝿を捕まえることに、熱中しているということだ。




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