■始まりは浅草田原町
時は江戸が元禄文化でにぎわう時代・・・。
場所は、毎日のようにたくさんの参拝客を呼び寄せる浅草の浅草寺・・・の近くにある田原町。
今日も空は雲一つない晴天・・・江戸っ子達が意気揚々と仕事に出ていく七ツ頃である。
「ほらほらっ、お客が来る前に店の前の通りの掃除をしておきなさいっ。」
という声と同時に一人の若い男がほうきを片手に追い出されるように一軒の店から出てきた。
その店は参拝客目当ての団子屋らしく、のれんに大きく「だんご」の文字が描かれている。
「有紀姉!こんな早くから掃除しても、お客なんか来やしねえよぉ!」
年の頃十七、八といったところだろうか。茶色に染めた麻の着物を着ている若い男だ。
「何言ってるの!かいざー!今日は暑くなるだろうから、お客も早めに来るはずよ。とっ
ととやりなさいっ!」
店の中から澄んだ声とは裏腹に厳しいお言葉が返ってくる。
「昨日だって「今日は暑くなるわよっ!」て言ったけどものの見事に曇り続きだったぜ。
有紀姉の予報は信用できねぇよ。」
小袖、前掛け姿の若い女・有紀がのれんをかき分けて出てきた。かんかん顔で・・・。
「何か言った?か・い・ざー?」
背筋の凍るような有紀の声にかいざーは思わずたじろぐ。
「い、いや、有紀姉さんはいつ見ても奇麗だな・・・と・・・。」
「そ・ん・な・わかりきったことを言ってないで、さっさと掃除しないかぁっ!!」
かいざーも思わず後ずさる迫力・・・だが、ふと回りに目を向けてみると道行く人々が一
斉にびっくりしたような目で有紀に注目していた。
「あら、やだっ、私ったら・・・てへっ。」
顔を真っ赤にした有紀が店の中に退散していった。
かいざーはふぅ~っと胸をなでおろす。
「照れるんなら、初めからやるなよなぁ~・・・おかげで助かったけど。」
そんなのかいざーの疲れた様を吹き飛ばすかの様な声が背後から聞こえてきた。
「相変わらずの痴話喧嘩やなぁ~。うるさくて客足が遠のいてしまうで~。それにしても
怒る有紀さんもええなぁ~。ほれぼれしれしまうで~、嗚呼~、有紀はぁ~ん!!。」
聞きなれたこの関西なまりはっ・・・・・・
■お騒がせの関西男
「今日も一番のりかい?毎日毎日続けるその誠意は認めるけど、有紀姉には無駄だと思う
けどなぁ~。S.A。」
かいざーが振り返ると思ったとおり小袖に羽織姿の若い男がにやにやしながら立っていた。
名は、S.A。
年はかいざーよりも一歳年上で今年で十九を迎える。彼が関西なまりを話すのは幼い頃、大阪にて育った為である。
店の方もかつてのつてなどを利用して京都の西陣織などの珍しい着物を取り扱っているので、人気も徐々にあがりはじめた。
今ではとある大名家のお抱え店になることもできて、江戸城の大奥などからの注文も受けるようになり、日々莫大な利益をあげるようになった。
今現在は父である京極屋伝兵衛が店を取り仕切っているが、後々にはその大店の跡取りと目されているS.Aなのである。
つまり・・・大店の若旦那だ。
「わいの心が通じるまで、わいは続けるつもりさかい。そしていつの日か・・・必ずや有紀はんを射止めてみせるでぇぇぇぇ!!!」
「朝っぱらから、相変わらず元気な奴だなぁ~。俺なんか眠くて・・・。」
「そんなんやから、いつまでも店先掃除をやらされるんや。さて、わいの方は本日も一番
のりさかい!今度こそ有紀はんの心を射止めて見せるでぇ~!有紀は~ん!」
そう叫ぶや否や、S.Aは威勢良くのれんをかき分けて店の中へと入っていった。
「やれやれ、相変わらずだな。」
かいざーも竹箒を持ち直して、さあ、いかにさぼろうかと考え始めたときである。
「このぉぉっ、助兵衛~!!!!」
「あんぎゃぁぁぁ~!!!」
パチンッ!という音と共に有紀の怒声とS.Aの悲鳴が聞こえてきた。
「・・・あの悪い癖させなければ、もう少し有紀姉も態度を変えると思うんだが
なぁ。」
これもまたいつものやりとりであるため、かいざーは苦笑して、再度さぼる手段
を考えはじめた。
店の方は昼に近づくにつれて、客足が増えてきた。
参拝客以外にも安くておいしい団子をおやつにしようという者たちが買いにくるのである。
お茶と一串で八文という手軽さもこの団子やが繁盛している理由だろう。
この店の独自に開発した羽二重団子と呼ばれるあんと醤油の二串の団子が合わせて十六文というのは、浅草の参拝客の中では有名であり、もはや名物となっている。
今日も又、羽二重団子を求めて老若男女誰もが訪れてきていた。
「羽二重団子、二人前頂戴っ!」
「あんのみを三串!お茶は渋めねっ!」
「あん五つに醤油五つお願いっ!」
「あん五つに、醤油二つ、それに・・・その他いっぱい!もうちょっと待ってて
ねぇ~!」
客がそれぞれの台に腰掛け、団子をうまそうにほおばる中、注文を伝える有紀の
透き通るかのような声が店内を響き渡る。
その声に麻の着物を腕まくりした三十過ぎくらいの男が応答する。
この店の主であり、有紀やかいざーの父親である門井だ。
妻を数年前になくしてからというもの男手一つで店を切り盛りしているのである。
「かいざー、あんがたらない。奥から持ってきてくれないか?」
同じ炊事場でうるちの粉をこねていたかいざーはうなづいて店の奥の方へと走っ
ていった。
「羽二重団子を発明してからというもの、客足がうそみたいに来るようになって
大忙しだな。たまには有紀やかいざーにも休ませてやらねば・・。」
「持ってきたぜ。ここに置いておくからな!」
「ご苦労さん。」
明日か明後日は休業にでもするか・・・と思いつつも、無意識に焼きあがった団
子にあんを塗り続ける自分に対して門井は苦笑していた。
客足がようやく少なくなってきた未の刻八ツ頃、休息の合間に門井は有紀とか
いざーを自分の所に呼んだ。
「今日まで休まずご苦労だったな。ご褒美といってはなんだが、明後日は店を休
んで皆で花見に行くとしよう。長屋の皆さんにも声を掛けてきてくれないか?」
「お花見だって?やったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
大喜びのかいざーと有紀は共に手をにぎりあって喜びあっている。
「有紀姉。誰を呼ぼうか?」
「長屋の皆さんにはお世話になっていることだし、声を掛けなくちゃね!」
「じゃあ、俺の方はS.Aにでも声を掛けておこうかなぁ~。あいつ・・・涙ぐ
んで喜ぶぜ、きっと。」
そうつぶやいたかいざーのこめかみを有紀が拳でぐりぐりと・・・。
「ついでに悪い癖も直すように言ってお・い・て・よ・ね! か・い・ざー!!」
「ごごごご御免!許してくれぇ~!」
やれやれといった感じで苦笑する門井であった。
■呉服問屋京極屋事件
客足も少しずつ遠のいてきた申の刻七ツ、かいざーと有紀はS.Aを誘う為に呉服問屋
京極屋に出向いた。
有紀の方はしぶしぶながら付いてきたのだが・・・。
京極屋は大川橋の手前にその大きな大店を連ねている。
この地域では参拝客を相手にした数々の大店などが軒を連ねる激戦地区なのだが、その中でも京極屋は繁盛していた。
店の軒先には大きなのれんが垂れ下がり、その前を数人の丁稚が何時をも掃除を怠らない。
ゆえにちり一つ見つけるのも苦労するほどだ。
その通りを歩く人々には手代の客寄せの声がかかり、店内では反物を取り扱う丁稚達が店内を走り回り、接客に励む手代、帳場を預
かる番頭などが休む暇もないほど働いている。
大きなのれんをかき分けてかいざーと有紀が店内に入るとすぐに手代らしき若い男が接
客に応じてきた。
「若旦那のS.Aさんをお呼びしていただけないでしょうか?」
「若旦那でございますか?あの~、一体どちら様で?」
なんでこんな奴等が若旦那を?といういぶかしげな表情で手代が問いただした。
「浅草小町が訪ねてきたと言えばわかるさ。頼むよ。」
「な、何言ってるのよ!」
浅草小町という言葉を聞いて、有紀の顔がほのかに赤くなる。
手代の方はかいざーの言葉に半信半疑ながらも奥に入って行った。
少し待っていると・・・奥からけたたましい足音と共にS.Aがものすごい勢いで走って
きた。
「有紀は~ん!!!来て下はったんですかぁ?!!」
店の者達、それに客達も一斉にこちらを振り向くほどの大声をあげるS.A。
「ちょ、ちょっと用事がね・・・、ほんとにちょっとだから、そんなに大声を上げないでっ
たら。」
「いえっ!有紀はんの為さかいっ!たとえどのような御用であられようと、このS.A、
お呼びとあらばどっからでも飛んできまっさかいっ!!!」
いつの間にか有紀の両手を握り締めているのには、さしものかいざーも思わず驚いてし
まった。
「じ、じつはな・・・明後日にうちで花見に行くことになったんで、お前を誘おうと思っ
てな。でも、この繁盛ぶりだしで忙しそうだし・・・無理な誘いだったな。」
「いやっ!!よ、よくぞ!わいを誘ってくれたっ!!!かいざー!!!わいは感無量や~。
有紀はんの側に一日中いられるなんて、わいは幸せもんやぁぁぁぁ!!!」
涙を流しながらかいざーに訴えるS.A。だが、有紀の両手は無論離していない。
「そ、そうか!お前がそんなに喜んでくれるなんて誘って良かったよ。でも、仕事の方は
大丈夫なのか?」
「んなことは気にするな!それよりも必ず明後日には朝一番で参上するさかいっ!京極屋
S.Aの名に恥じない花見道具を持っていくから、期待しててなっ!!」
「大馬鹿者!!!何を言っているんだ!!!」
その大声に気付いた三人が声の方向に振り向くと・・・・・・そこには店主・京極屋伝
兵衛が立っていた。年の頃四十半ばというところであろうか。大阪から来たということを
感じさせない流暢な江戸言葉が店内に響く。
「S.A!!皆の者の手本にならなければならんお前がなんたる事を言っとるんだ!!さっ
さと仕事場に戻れっ!そんな、どこの馬の骨とも分からん奴と軽々しく口を聞くんではな
いっ!!!」
「おっ、親父!!!わいの親友に馬の骨はないやないかぁっ!」
「親友だとぉ?誰がそんな奴等と付き合えと言った!そんな不器量な女の手などさっさと
離せっ!」
「ぶ、不器量だとぉ!」
「親父ぃ!!!それは聞き捨てならん言葉やでっ!!!」
「本当の事を言ったまでだっ!いい歳の娘が化粧もせずにそんな安っぽい着物なんか着て
恥ずかしいと思わんのか?・・・それにここを何処だと思ってるんだっ!!お前らの来る
ような場所ではないっ!!さっさと出ていけ!!おいっ!だれか塩持ってこいっ!!」
手代や丁稚達が数人駆けつけてくる。
「こいつらを表に追い出せっ!いいかっ!お前らっ!S.Aにそんな不器量な顔を二度と
見せるんじゃないぞ!!!」
かいざーと有紀は追い出せるような形で店の外に出された。
呆然と立ち尽くす二人に店内から伝兵衛に抗議するS.Aの声が聞こえてくる。
「ゆ、有紀姉・・・。」
有紀は顔をうつむかせたまま、呆然と立っている。かすかに肩が震えていた。
「・・・ぁ・・・っ・・・。」
有紀の口から声にもならない音が聞こえてくる。
「ゆ、有紀姉・・・長屋のみんなを誘いに行こう・・・。きっと喜んでくれるはずだから
・・・。さぁ・・・帰ろう・・・。」
そう言って有紀の肩に手を掛けて、後ろから歩くようにうながした。
有紀の方も何も言わずにうつむいたまま、黙ってかいざーにうながされながら、歩きは
じめた。
かいざーの手には有紀の細い肩の震えが伝わってくる。そして耳にはほんのかすかな鳴
咽が聞こえ始めてきていた。。
京極屋の店内からは、未だ、S.Aの反論する声が聞こえている。
■我に秘策あり
「わーい!お団子、お団子♪!」
子供のはしゃぐ声と共に、のれんをかき分けて子供連れの刀を帯びた侍が団子屋に入っ
てきた。
「門井殿、久しぶりじゃな。」
「あっ、半兵衛先生と武之介じゃありませんか。参拝のお帰りですか?」
「うむ。境内の桜も見頃じゃからのぅ、参拝見物のついでに花見をしていたら、こやつが
団子団子とうるさくてなぁ~。」
武之介が目を輝かせて、門井と半兵衛を見ている。
「この通りでな。いつもの羽二重団子を二人分、頂戴しよう。」
「はい。分かりました。武之介はあんの方を二つだね?」
「甘いの、甘いの!」
「これこれ~、もう少し静かにせんか。あまりはしゃぐと団子が逃げるぞ。」
「やだぁ~!!!・・・・・・・・。」
よほど団子が食べたいのか、口に両手をあてて黙り込んだ。門井はほほえみながら、団
子の方に手を伸ばした。
「とろこで・・・かいざーと有紀の姿が見えぬが、どこかへ行ったのか?」
「ええ。そのことで先生にもちょっと・・・。実は明後日に久しぶりに花見にでも行こう
かと思いましてね。それで、長屋の皆さんに知らせてくるようにと頼んだ所でして。で、
その花見に先生も御一緒しませんか?」
「う~ん、ちょっと急な花見よのぅ。確か・・・登城日じゃないはずじゃな。それじゃあ、
御一緒させていただこうか。」
「僕もー!!!」
話しを聞いていた武之介が自分もとばかりに大声を上げた。
「はいはい・・・武之介も大丈夫だよ。でもお前はお花より団子だろ?」
「うん!!お団子~!!」
客のいない店内に半兵衛と門井の笑い声が響き渡った。
「ただいま~・・・。」
出ていった時とはまるで違って元気のない声でかいざーが店内に入ってきた。その後を
うつむいたままの有紀がついてくる。
「わーい!かいざー兄ちゃんと有紀姉ちゃんだぁ~!」
いつもと様子が違う二人だが、そんなことはお構い無しに武之介は二人の元へ駆け出し
ていった。なついてくる武之介をあやしながら、二人とも半兵衛にむかって会釈をする。
「何だ?いつものように元気が無いのぅ~。どうしたのだ?」
半兵衛がそう尋ねるよりも先に、有紀は店の奥へと駆け込んでいってしまった。
「・・・・・・どういう事があったのか、説明してくれないか?かいざー。」
「実は・・・・・・。」
かいざーは京極屋で起こった一部始終を話した。それを聞き終えてから少しの間、門井
は腕組みをして、目を閉じて考え事に入った。
「・・・かいざー。もう一度、有紀を連れて、今度は長屋のみなさんの所へ行きなさい。」
閉じていた目をゆっくりと開けながら、門井は話した。
「今はそっとしておいてやろうよ・・・、長屋の方には俺が行くからさ・・・。」
「もう一度言う。長屋の皆さんの所に有紀と一緒に行きなさい。かいざー。」
物静かに・・・だが、門井の目に鋭利の刃物の様な鋭さが浮かんだのを半兵衛は気付い
た。
「(ほぅ、門井のあの目をみるのは、久しぶりよのぅ。)」
半兵衛の言うあの目をしていた頃の門井を知るものは半兵衛を含めてほんの一握りの者達のみである。
だが、いつもとは雰囲気が違うことにはかいざーも気付いたらしい。
「聞いたとおりじゃ、かいざー。門井の言うとおりにしてみたらどうじゃ。」
「・・・分かったよ・・・。そうしてみるよ。」
ばつが悪そうな顔をしながら、かいざーは奥の部屋へと向かっていった。
四半刻後、ようやくかいざーに説得された有紀が相変わらずのまま、店内に姿を見せた。
「そ、それじゃあ、行ってくるよ。ほらっ、有紀姉。」
かいざーに促されるような形で有紀は店の外へと出ていた。二人が出ていったのを確認
したかのように、半兵衛が話しを切り出した。
「何か良い名案でもあるようじゃな。元徳川家隠密・風塵の門井よ。」
「その名はもう捨てましたよ。徳川家剣術御指南役・上原半兵衛殿。」
「あいかわらずだな。ふっふっふ・・・。」
苦笑する半兵衛の視線の先には団子を催促する武之介が机を叩いていた。
「ほれっ!こちらの若君様に、早急に団子を作らんと、手がつけられんようになるぞ。門
井殿。」
何やら離れた台の上に飾ってあるいかにも値の張りそうな湯飲みに手を掛けようとする
武之介を見た門井の顔が、血の気が失せたように真っ青になった。
「た、武之介っ!そ、その湯飲みはとても高かったんだっ。そのまま、ゆっくり・ゆっく
りだぞぉ~・・・台の上に・・・なっ・なっ?」
「お団子ぉぉ~!!うわぁぁぁぁん!!!」
!!!
泣くのと同時に武之介は湯飲みを放り投げた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ものすごい勢いで湯飲みに飛びつく門井。
そのおかげあってか、何とか地面から二寸くらいの所で受け取ることができた。
「さすがのお主も武之介にかかれば、冷や冷やものじゃな。かっかっかっか!」
「先生!この湯飲みは一両もするんですからね!!もし割ったら、先生が弁償してくださ
いよ!」
「な、なぬぅ!!い、一両じゃとぉ!!」
おそるおそる武之介の方を振り返ると、別のこれまた高そうな湯飲みに手を伸ばしてい
るではないかっ!!
「た、武之介!動くな!動くでないぞ!そのままじゃ、そのまま・・・。」
「だぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「どぅぅわぁぁぁぁぁぁ!!!」
元隠密と剣術指南役ともあろう二人がそろいもそろって叫び声を上げた。
■蛇骨長屋の井戸端会議
お団子門井のすぐ隣には、蛇骨長屋の路地へと続く木戸門がある。
その木戸門をくぐると、狭い一間ほどの路地が奥へと続いている。
路地の中央には汚水を流すための溝が掘られており、その上をどぶ板がふさいでいた。
その路地を挟むように、二階建長屋が連なっていて、日中でも少し薄暗く、日の当たらないためじめじめしている。
さらに奥に進むと共同便所と共同井戸が一つの広場の中に離れて設置してある。
井戸の方は住人達のたまり場と化していて、俗に言う井戸端会議が毎日、ご婦人方たちによって行われている。
この蛇骨長屋とかいざー達は家族同然の様なつき合いをしている。
井戸水の組み替えなどの住人総出の行事には進んで参加したものだ。
最近は店が繁盛してきて、あまり顔を見せることがないが、顔を合わせた時などは、挨拶の上におしゃべりにまで発展して行くほどだ。
表通りの様な綺麗な所も好きだが、たとえ汚くてじめじめしていてもかいざー達にとってはかけがえのない場所であった。
「おやっ?今日はお店の方はどうしたんだい?」
共同井戸の所へ来てみると、案の定、ご婦人方が集まっていた。
「ちょっと休憩なんだ。実は親父から・・・ほらっ、有紀姉。」
「じ、実は・・・明後日にうちで花見に行くことになったのですが、長屋のみなさんもご一緒に行きませんか?」
「お花見?いいわねぇ~・・・。辺りでもお花見だと騒いでいる頃だし、あたしはぜひ、行かせてもらうよ!」
「そうなったら、早速準備しないと駄目じゃな~い!」
「門井さんのお団子が食べられるなんて幸せだわ~。」
「まったく・・・あんたったら、花より団子なんだからっ!」
「そ~れは、お互い様ってね!」
一斉にご婦人達の中で笑いが起きた。
「花といったら、最近見ないうちに、また一段と綺麗になったわねぇ~。有紀ちゃん。」
「ほんとっ!まるで、若い頃の私の様だわ~。」
「あんたの若い頃と一緒にしちゃ、有紀ちゃんに失礼ってもんだよっ!」
どんな話題でも必ず笑いがあふれてくるご婦人方に感心しつつ、笑いをこらえるのにかいざーは必死だった。
ちらっと有紀の方を見てみると、有紀も口元に手を当てて、笑いを必死にこらえていた。
落ち込んでいた表情も、徐々に色をなくしてきている。
笑いを必死にこらえながら、有紀は考えを改め始めていた。
「(確かに・・・京極屋さんは私の姿を見て、不器量だと言った。それもあんなにたくさ
んの人達の前で。それはくやしい・・・。私だって好きでこのような格好をしているわけ
じゃない。流行の振り袖などを着てみたい。でも、こんな姿の私でも綺麗だと誉めてくれ
る人達がいる。綺麗な着物を着て、お化粧をして、綺麗だと呼ばれる事もうれしいけど、
そんな人達が周りにいてくれる事だけでも、幸せだよね。着物とかだけでは人の魅力が証
明されないということを、見せつけてやるんだからっ!)」
そう思うと、居ても立ってもいられなくなってきた。
ちょうどその時、木戸門の辺りから、納豆売りの声が聞こえてきた。
「さあ、今日もみんなしてねぎるよっ!一文でも安く買わなきゃねっ!」
その言葉を聞いたとき、有紀の頭の中にある一つの考えが浮かんだ。
「おばさんっ!!その値切り役、私にやらせていただけませんか?」
みんながおどろいたような顔つきで有紀を見つめた。
「そいつは良いじゃない!!有紀ちゃんの器量で迫れば、納豆売りなんていちころよっ!」
きゃはははは・・・というけたたましい笑い声が響きわたる。よく笑うなぁ~。
「さぁぁ、いらっしゃい~。納豆売りさぁ~ん。」
まるで遊女の手招きのような色っぽいしぐさを有紀がしてみせる。
「色っぽいわねぇ~、有紀ちゃん。」
「何処でそんなのを覚えたの?」
「えへへ。」
一段と笑いが大きくなったところへ、納豆売りが到着した。有紀や婦人方が納豆売りとの戦闘開始とばかり、値踏みをし始めた。
いつの間にやら、忘れ去られていたかいざーは、隅の方に移動して、彼女たちを眺めつつ苦笑していた。
「さて、有紀姉も元に戻って・・・いや、さらに凄くなったかも・・・ま、いっか。俺の方は、他のみんなに花見の件をしらせなくちゃな。」
その時、かいざーは不振な気配を感じた。どうやら、見られているらしい。
何処からだ?と辺りを見回すと、三間ほど離れた長屋の陰から、こちらを覗いている者に気づいた。
それに気づくやいなや、すぐにその場所に向かって走り出す!相手の方もそれに気づいたらしく、反転して逃げようとした。
「あたっ!!あいたぁっ!!!」
見つかって気が動転していたのか、後ろを振り向くなり、どぶ板に足を取られて転倒したらしい。
なんと、間抜けな・・・。
「何してやがっ・・・あれっ?しっぽさんじゃないか。」
そこには足を取られて転倒し、頭を強打したのであろう。
痛そうに頭を抱えた若い侍姿の男の姿が・・・。
その男とは、この長屋に住む浪人しっぽであった。
■どぶ板浪人
「あいたたた・・・どぶ板に足をとられるとは・・・。」
苦笑いをしながらしっぽはゆっくりと身体を起き上がらせた。
「しっぽさん。何でこっちの方を見てたんだよ。」
「い、いやな・・・御婦人方の声が聞こえてきてな・・・やけに楽しそうだったもので、
つい・・・な。」
「ほんとは~、有紀姉でも見てたんじゃないの~。あのあわてぶりだったし・・・。」
「なっ、何を言う!!拙者はお家再興を遂げるため、日々修練を重ねているんだぞ!!そ
れが女なんかにうつつを抜かしていられるかっ!」
それを聞くと、かいざーはしっぽに背を向けた。
「あっそ。そんなに日々忙しいんじゃ、お花見参加は駄目だねっ。え~と、しっぽさんお
花見不参加っと・・・。」
「花見!?・・・(も、もしや・・・)・・・か、門井殿も行かれるのか?」
「もちろんだよ。親父が言い出したのだから。」
「で、ではっ、有紀殿も行かれるのか?」
「な~んだ・・・、始めっからそう言えば良いのに・・・行くよ。有紀姉も。」
「せ、せ、拙者はなぁっ!た、ただ、店はどうなするのかと・・・し、心配して聞いただ
けだ!」
「はいはい。そういうことにしておきましょうかねぇ。」
「ぐぬぬぬぬぬ・・・。と、ところで、他の参加者はどうなっているのだ?」
「一応、長屋のみんなを誘うつもり。あとは・・・俺の友人のS.Aに半兵衛先生に武之
介ぐらいだぜ。」
「半兵衛先生!!!あの徳川家剣術御指南役の上原様か?」
「ああ、そうだよ。」
「(もし、うまく上原様のお声がかかっれば、仕官の道も開けるかもしれんし、お家再興
も夢ではないはず・・・。それにあの方も参加とくれば・・・。よしっ!)」
背中を向けているかいざーの肩をしっぽが勢い良く掴んだ。
「気が変わったぁぁ!!拙者も参加するぞ!花見に!」
耳元で大声を出された挙げ句、肩を勢い良く振らされて、かいざーは頭の方がくらくら
・・・。」
「わ、分かったから、手を離してくれってぇ~~。」
「わっはっは!!花見は明後日だったな。ああ~、人生最良の日になりそうだ!いやぁ~、
愉快愉快!!かっかっか・・・。」
そう言い残すと、しっぽは自分の長屋のある方にむかって歩き出した。なにやら非常に
浮かれているらしく足並みも軽やかだ。
「我に春来たりっ!!!わっはっはっはっはっは・・・。」
「俺の人選は誤っていたのかも・・・。花見は一体、どうなることやら・・・・・・。」
呆然のしっぽの後ろ姿を眺めるかいざーであった。
「ただいま~。長屋のみんな行くっていってよ!」
出ていった時とは明らかに違う明るく澄んだ声が門井の元に届いた。
洗い物をしている手を止めて、帰ってきたかいざーと有紀の方を振り向く。
「はいはい、ご苦労さん。それじゃあ、明日は準備で皆大忙しだ。お前達も手伝ってくれ
よ。」
「まかせとけって。それよりも半兵衛先生と武之介は?」
「先ほど、帰られたよ。明日あたりまた来てくださるそうだ。」
「武之介にはさっきはかまってあげなくて、かわいそうな事をしちゃったわね。」
「まっ、団子でも食わせればころっと忘れるって。」
「それはかいざーでしょっ。食い意地だけは一人前なんだからっ。」
「有紀姉~、自分のことをさしおいて、それはないんじゃないのぅ~。この間だってさつ
まいものふかした奴、おれの分まで平らげたじゃないか。」
「あ、あれはねぇ~・・・。」
おもわず恥ずかしさで顔をふせてしまう有紀。
「ほぉ~らっ!やっぱり有紀姉の方だ!」
「かっ、かいざぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
真っ赤な顔をして有紀がかいざーにつかみ掛かる・・・しかしかいざーもさる者。
ひょいっと有紀の手をかいくぐり、通りの方に逃げ出した。
「待てぇぇぇ!!!」
ついには店の箒を持ち出して、かいざーを追いかけている有紀。
「おっ、おいっ。いい歳の娘なんだから、もう少しおしとやかに・・・。」
「父上は黙っていてくださいっ!!!」
「はひっ!!!」
有紀の剣幕におもわずひるんだ門井。
有紀の方はかいざーを追って、通りの方に出ていった。
「元気になったのは良いけれども・・・なりすぎたかな~。」
二人が消えたので、また洗い物に戻ろうかと門井は洗い場の方に戻ろうとしたときだった。
「すいません。こちらにかいざーさんと有紀さんという方はいらっしゃいますか?」
のれんをかき分けて、どこかの店の丁稚らしい身なりの十歳ほどの男の子が入ってきた。
「そうですが・・・どちら様かな?」
「私は京極屋の若旦那に言づてを頼まれてきた者なのですが・・・。」
京極屋と聞いて門井は、まじまじとその小僧を見つめた。
■出席欠席はて・どっち?
「ちょっと今は外に出ていてね。もし、父親の私でよかったら話しを聞くけど?」
再確認するように店内を見渡した後、小僧は門井の方に顔を向けた。
「若旦那からの言づてでございます。明後日のお花見はお誘い下さりまして、誠にありが
たいのですが、うちの方でも同日、向島の隅田川畔にて花見を行うことになりまして、こ
ちらの方には出席できないと申されました。」
その話を聞いた門井だが、無論こんなことを言うS.Aではないと、はなから見越している。
主人の伝兵衛あたりの言葉であろう内々にうけとった。
「それは誠に残念。次回の折りにお誘いいたしますと若旦那に伝えて下さい。」
「承知しました。これで、失礼させていただきます。」
丁寧な礼をして、小僧は店から出ていった。店内に一人残されて門井は、はてどうする
ものか・・・と考えていたとき、かいざーと有紀が帰ってきた。
「いてててて・・・有紀姉っ!、離してくれって!耳が伸びちまうよっ!!」
「これ以上言ったら、もう一寸くらい伸ばすからねっ!」
毎度毎度のとっつき合いなので、門井の方も苦笑していたが、先ほどの京極屋の小僧と
の一件を二人に話した。
「S.Aの奴がそんなこと言うはずがねぇよ!!絶対に!」
「そうよそうよ!きっとあの伝兵衛とかいう人の言ったことに違いないわっ!」
「だが、相手がS.Aからの言づてではないという証拠はどこにもない。それに・・・仕
方ないだろう?向こうは身内なんだ。こちらからおいそれと文句は言えない。それとも何
か?相手の事情を無視しててでもS.Aに来て欲しかったのかな?」
「だっ・だれが、あの助平なんか!た・ただ、居た方がみんなも騒げると思っただけよ!」
「毎朝毎朝、怒ったりしているわりには心配しているんだね。有紀姉~。」
その後、かいざーの悲鳴ともとれる叫び声が上がって、耳が先ほどよりも一寸ほど、横に伸びた。
「(可愛い娘息子の為に、一肌脱いでやるとするかな・・・・・京極屋のやり方が少し気
にくわない所もあるからな。)」
正直になれない自分自身に苦笑しつつも、体内に久しぶりに隠密時代を思い出させるような熱い血が流れていくのを門井は感じた。
同時刻・・・京極屋の店内のとある奥の一室の中・・・京極屋の若旦那のS.Aは一人、大の字になって天井を見上げていた。
「・・・・・・わいのことを、この部屋から出さへんつもりらしいなぁ。」
視線を襖の方に向けてみる。
部屋の中からではわからないが、外では伝兵衛によってこの部屋の見張りを命ぜられた店の誰かが座っているらしい。
「このままじゃ・・・有紀はん達の花見にも行けへんわ・・・。何とか、部屋抜け出さんと・・・。」
先ほど伝兵衛に殴られた頬の部分をなでながら、改めて天井を見直す。有紀達の一件で伝兵衛に反抗したS.Aは謹慎させられているのであった。
「京極屋の若旦那としての自分を頭を冷やして考えろって言われたって、あんなことを有
紀はんに言った親父が悪いんやっ!わいは悪くないっ!謹慎せなぁあかんのは親父の方や
ないかぁ!」
子供のように手足をじたばたさせて叫ぶが、誰からの返答もあるはずがない。
ましてや、店先にいる伝兵衛達には絶対届くまい。
「(絶対に抜け出して・・・わいは花見に行ったるさかいっ!絶対やぁっ!見とれぇぇ!)」
S.Aの畳に打ち付ける拳の音だけが、部屋の中で重く響いていた。
■隠密潜入
隠密・・・他国の内情を知るために送り出される密偵・・・それが門井の以前のお役目であった。
代々徳川家に使えていた門井家であったが、ある事件を境に隠密の役をお役ご免になり、武士を捨てて町人となった。
「さすがに・・・数年も訓練をしていないと身体がなまるものだな。」
暗闇の中にたたずむ門井はつぶやいた。
あたりも皆寝静まった亥の刻四ツ頃、門井は京極屋の天井裏に忍び込んでいた。
隠密であった頃には他国の城の城の床下や天井裏など危険な所であろうと軽々と忍び込んだが、何年もの平穏な生活が門井の身体能力をあきらかに低下させていた。
思うように身体が動かない。
「まあ、大店の住人に気づかれるほどに腕がなまっていなかったのが、せめてもの救い
だな。さて、S.Aは何処にいるのやら・・・。」
S.Aは監禁されている。
とすれば、通りに近い部屋ではなく、店の奥の方の部屋にいるはずだ。
門井はほこりくさく、蜘蛛の巣が立ちこめる天井裏の闇の中ををゆっくりと、慎重に気配を消しながら進んでいった。
S.Aは眠れなかった。亥の刻四ツを過ぎ、店の者たちも寝静まったころであろう。
もしかしたら、すぐ隣の部屋にいる見張りも眠っているかもしれない・・・抜け出せるかもしれない・・・などと考えていて、まったく眠れずにいた。
この部屋に監禁されて以来、何か良い案が浮かばないかとさんざん頭を悩ませたS.Aであったが、それらしい案は浮かばず、途方にくれていた。
「明後日にうちでも花見をやるらしいなぁ・・・これが、親父の奴のわいへの罰ってとこ
ろかいな。どうせ、船で隅田川を川下りしながら桜を見て、お得意はんとつまらん芸者の
踊りを見ながら、しけた飲み食いするだけやろ?つまらへん!!どうせ花見の籍でお得意
はんにお世辞でも言いながらの飲み食い・・・ただ、疲れるだけや。」
ぶつぶつと文句を言いながら、S.Aは去年の花見の事を思い出していた。
「去年のやつは楽しかったなぁ~・・・。かいざーと馬鹿話に盛り上がって・・・そうい
えば長屋の男共で飲み比べしたっけなぁ~。かいざーの奴、まっさきにつぶれよった・・
・それに有紀はんの踊り・・・ちょうど桜の散る頃やったから、桜の花が散る中での・・
・綺麗やったなぁ~・・・。そこらへんの芸者なんかよりずっと色っぽかったなぁ~。門
井はんと半兵衛先生は別の華に夢中になって女連中から白い目で見られてたっけなぁ~。
あっ!有紀はんに言い寄る変な侍らしい奴もいたなぁ!たしか・・・しっぽとか言ったな。
去年はそれで喧嘩したが、あいつ・・・今年も来るはずや・・・有紀はんに変なことをし
たら絶対許さへんと思っていたが、これじゃあどうしようもあらへんわ。」
「私は別に好きでやったわけではないんだがね。」
「!!!!」
突然、S.Aの寝ている部屋の天井あたりから、聞き覚えのある声がして、S.Aはとっさに飛び起きた。
「もしかして・・・・・・門」
「しっ!・・・そうだよ。私は門井だ。実はね・・・S.Aに伝えておきたいことがあってね・・・それで今夜は参上したというわけなんだ。」
「さ、参上したって・・・一体どうやって?」
「ま、その辺の事は後で詳しく・・・。京極屋さんでも明後日に花見をやるということは聞いたかな?」
「向島の墨田川畔て言うてました。」
「それでね・・・うちの方でも考えた末に同じ所でやろうと思うんだ。ただ、京極屋さんの
ように船を使った豪華なやつじゃないけどね。どうだい。来る気はあるかい?」
「それはもちろん。でも、その日もきっと見張りがくっついてるさかい・・・無理や。」
「それならこちらで何とかできる。もう一度聞くけど、本当に来る気はあるんだね?」
「ほ、本当かいな?も、もちろんや。」
「了解した。では、後は私が引き受けよう。S.Aはあまり騒がしくしないようにしていて
くれよ。それじゃ、明後日を楽しみに。」
天井にあった人の気配が消えたことをS.Aは感じ取った。
まさか、門井がこんなまねをするとは思っていなかったので、 驚きも大きかったが、それよりも「明後日を楽しみに」
という門井の言葉に、希望を持ち始めたS.Aは、仰向けに布団の上に寝ころんだ。
「門井はんのことは気になるが、この際あまり気にせんといて、わいの方は明後日まで
おとなしゅうしとこうかいな。」
今まで、いろんな事を考えていて心身共に疲れていたのだろう。
S.Aの意識はすぐに暗闇の中へととけ込んでいった。
■うそも方便?
朝の日差しが、江戸八百八町を照らし始め、鳥達の囀りと共に、納豆売りの声が朝の膳
の準備をしている女房達を引き寄せる。
空は雲一つない青空一面で、これまた今日が暑くなることを暗示させていた。
昨日の蛇骨長屋は今日の花見の準備の為に大忙しであった。
門井は花見の席には無くてはならない団子作り。
人気の羽二十団子はもちろんのこと、桜餅やその他もろもろの団子は、花見の席での女子供達の注目の食べ物である。
数十人分の団子を一度に作るということになるので、かなりの量のうるちの粉や、あん、醤油などなどが所狭しと団子屋門井の
炊事場に並べられた。
有紀は長屋の女房達と一緒に揃いの手ぬぐいをあつらえた。
慣れない針仕事であったため、指に針を刺すこと十回あたり。
これでは花嫁修業も楽ではないと密かに思ったほどだ。
有紀と同年代の娘も数人いたが、皆同じように悪戦苦闘していたが、その点、女房達は慣れた手つきで針を動かしており、たじたじ顔の有紀達。
針仕事の他にも、弁当などを作るのも、彼女たちの仕事である。
折り重ねられた重箱からは、食欲をそそる香りがだだよってきて、ついつい旦那衆には内緒で、皆と一緒につまみ食いをしたのだが、その時の味はよろいっそうおいしく感じられたそうだ。
旦那衆の方ももちろん準備に忙しい。
長屋の旦那の中から二、三人は簡単な弁当、筵をもって前日からの場所取りに出かけた。
花見の場所である墨田堤は江戸の町からも近いことから、庶民達は気軽に行けるところでもあったので、花見時期には大混雑もまれではない。
良い花見席を確保するためには、場所取りも必要であった。
そのほかに荷物を運ぶ荷車の手配や筵の修繕、必要な雑貨品の買い出しなどで忙しかった。
浪人しっぽも買い物を頼まれたおり、
「なぜ、武士が女子供のするような買い出しなどをせねばならぬのだ!」
などと言っていたが、かいざーの
「しっぽさんは有紀姉の晴れ着姿を見たくないようだね~。」
という言葉に敗北。
しぶしぶながらも買い出しに出かけたものだ。
無論、かいざーも毎朝の店先掃除の時のようにさぼるわけにはいかず、団子の仕上げの手伝いで、一日中、店の中に立ちっぱなし。
作り終わった時はその場にへたりこんでしまったものだ。
だが、それも花見を楽しみにする一心でのことであるので、心地よい疲れと言うべきだろう。
そうして、いよいよその日が来たのだ。
「それでは出発~!」
威勢の良いかけ声を発して、辰の刻五ツ、蛇骨長屋の者たちが一斉に墨田堤に向けて出発した。
ここのところ他町の花見見物に行く連中を横目で見ていた腹立たしさも加わってか、大人も子供も大はしゃぎであった。
男達は相変わらずの身軽な軽装であったが、女房達はこの日をとばかりのとっておきの晴れ着姿にこれまた化粧までした姿は、まさに自身
の魅力をいっぱいにふりまいているようだ。
自分の女房に惚れなおした旦那もいることであろう。
そのころ・・・時を同じくして、京極屋からも花見に向かう大きな一団が出発していた。
墨田堤に到着したのはお昼頃のちょっと前あたり。昨日からの場所取りが成功していた
らしく、絶好の桜の木の下に筵を敷くことができた。
さすがの長時間の歩きに疲れて者もいるが、だいたいが元気で、さっそく荷車から荷物をおろし始め、酒盛りでも始める雰囲気である。
(むろんほとんど男共あるが・・・)
そんな中、門井と半兵衛は
「所用があるので、少しの間抜ける。先にやっていてくれ。」
と言って、花見の席からはずれた。
目的はむろんS.Aの事である。
前日の打ち合わせ通り動くことを互いに確認しあって、二人は河岸へと向かっていった。
S.A達の一行は門井達のいる所からさらに上流の所で船に乗りながらの花見見物をしていた。
中型の船を数隻貸し切りにしたのは、京極屋の財力のたまものであろう。
船の中では早くも宴会の始まりである。
この日ばかりは奉公人達も遊べる気楽な日であったため、心底楽しそうにしている様子であった。
花見見物(宴会)が始まってから少したった頃である。
京極屋伝兵衛とS.Aの乗る船へ、一隻の小舟が近づいてきた。
伝兵衛の方でも何事かと思い、席を立って小舟の船頭に問いただそうとしたところ・・・
「遅れてすまぬ。京極屋殿。」
小舟に乗って近づいてきたのは、まぎれもなく半兵衛であった。
京極屋はお城へ反物などを届ける際に、半兵衛とも面識が幾度もあったので、すぐに気が付いた。
「これはこれは、上原様。よくぞ、いらっしゃいました。さあ、どうぞ、お上がり下さい。」
実は半兵衛は京極屋から招待される為に、昨日わざわざ京極屋に出向いていたのである。
京極屋の方でも、お城との商いの時には半兵衛にも世話になったこともあり、まして相手
は将軍直々の剣術師範であるので、もし半兵衛を通じて、御上へ品物などを献上する様な
ことができれば、ますます京極屋の名は江戸市中に広まるはずという算段も加わってか、
訪れるや否や、花見に招待したという訳であった。
さっそうと船に乗り込んだ半兵衛は京極屋の隣へと座った。
隣にいたS.Aはいきなりの半兵衛の登場に驚きを隠せないらしい。
「こちらが、ご子息ですな。本日はよろしくお頼み申す。」
「い、いえ・・・こちらこそ。よろしくお願いいたします。上原様。」
端から見れば、初対面の二人に見えたであろう。半兵衛の芝居がかった仕草に始めは驚
いたが、これも、門井の考えなのかもしれないとすぐに思い直し、改まって答えたのであっ
た。
「遅れてすまなかった。伝兵衛殿。実はな・・・先日、大奥の女中から聞かれてな。困っ
ていたことがあるのだ。」
「一体何事があったのですか?」
「ついこの間・・・ほれ、あの店先での喧嘩の一件がな、どうやってか大奥の者の耳に入っ
てな。仮にも将軍家の御用達の身分でありながら、あのような失態を見せた所は、御用達
からはずすべきか?と聞かれてな。どうすべきか困っていてなぁ。その場はうまくなんと
か切り抜けたが、今度聞かれた時にはどう返答すればよいかわからぬ。」
「な、なんですとっ!御用達からはずれるですとっ!!」
先ほどまで、酒が入って少し赤みがかった伝兵衛の顔が真っ青に変わっている。
「いや、まだ決まったわけではないのだが、聞いた話によれば、お主。その娘御にたいそ
うきつく言ったそうではないか。それを聞いた大奥の者たちが機嫌を悪くしてのぅ。」
「い・・・いったい、どっ、どうすればよろしいのでしょうかっ!!上原様ぁぁぁ!!」
必死の形相で半兵衛に助けをこう伝兵衛を見てただごとではないと思ったのであろう。
船に同乗している者たちの視線が伝兵衛に集まった。
「拙者も知人であるお主の事である故、協力は惜しまぬつもりだが、相手が相手じゃ。」
「そ、そ、そんな・・・」
もはや伝兵衛の頭の中では商いのことで一杯で花見のことなどかけらもないらしい。
「そうじゃな・・・。先方に詫びを入れてはどうかな?さすれば、拙者も何かとお主を擁
護しやすくなる。いかがかな?」
「ははぁ~!す、すぐ、その通りにいたしまする!」
「そうか!伝兵衛殿ならそう言って下さると、この上原半兵衛、思うておったが、その通
りであったわ。実は相手方の親を陸の方に呼んであるのじゃ。あちらもわびを入れたいと
のこと言っている。今すぐ会ってみるがよろしいでござろう。」
「は、はいっ!只今っ!」
いきなり席を立つと、大急ぎで船頭の元へ駆け寄り、陸につけろと命令しているらしい。
これまた必死の形相である。
皆の視線がその伝兵衛に向いている間、S.Aは半兵衛に小声で話しかけた。
「せ、先生・・・こ、これは・・・。」
「しっ!あくまでも、わしとそなたは初対面。もう少しの我慢じゃ。」
答えると同時に白い歯を見せてニヤリとする半兵衛を見て、ようやくS.Aの方にも事態がのみこめてきた。
これが、門井の考えであったのか・・・と。
船が陸へとつながれると、伝兵衛は船に同乗している者たちの方を振り返った。
「所用があるので、ほんの少し、席を外しますが、皆々様はこのまま花見をお楽しみ下さいませ。」
そう言って、真っ先に船を降りた。それに続いて半兵衛とS.Aも降りる。
「ほれ。あそこにおるのが、娘御の父で門井と申す者じゃ。」
半兵衛の指した先に、小袖に羽織り姿の門井がこちらに向かって頭を下げ、こちらに近づいてきた。
「私は、浅草田原町で団子屋を営んでおります門井と申します。先日は子供達が面倒をお
かけしたそうで・・・誠に申し訳ありません。」
深々と頭を下げる門井を見て、半兵衛は目で伝兵衛に合図を送った。
「どうぞ頭をお上げ下さい。無礼を働いたのは私の方でございます。娘さん達にはつらい
事を言ってしまい、今は反省をしております。どうか、お許しくださりませぇ~。」
伝兵衛が頭をこすりつけるようにして謝る姿を見て、半兵衛が門井を見つめた。
「これでどうだろうかな。お互い、何事も無かったということにせぬかな?」
「はい。ありがとうございます。子供達もこれを聞けば、さぞ考えを改めるでしょう。」
「ありがとうございます!つきましては、娘さん達をこちらの席に招待したいと思うので
すが、いかがでござりましょうか?」
「それよりも差し出がましいのですが、若旦那をお貸し願えないでしょうか。子供達も会
いたがっているようですので・・・。」
「それはもう!S.A。行って差し上げなさい。」
「ホンマか?親父?」
「こらっ!上原様の前で、そんな言葉使いをするんじゃない!」
「まあまあ、良いではござらぬか。かっかっか。」
伝兵衛の方も叱りながらも何やらほっとした表情を浮かべていた。
「それでは息子をよろしくお願いいたします。それでは、これにて失礼させていただきます。」
「後の事はこの半兵衛に任せて、お主は花見をゆるりと楽しむが良いぞ。」
深々と礼をした後に、心の底からの安堵のため息と笑顔を見せて、伝兵衛は船の方へ戻って行った。
「どうやら・・・うまくいったようですね。先生。」
「今回はちょっと脅しが利きすぎたかもしれんな。しかし、ちょうど良い薬になったであろう。」
「門井はん!先生!ホンマにありがとうございました!けど、最初は驚きましたよ。先生
が来るなんて一言も聞いてなかったからなぁ。」
「そんな礼はいいから、さっそく行かないか?みんなの元へ。」
「早く帰らんと、お主の自慢の団子が無くなってしまうかもな。」
「よっしゃ!わいが行ったら、残りは全部いただきや!ほな、参りましょうかいな。」
「いきなり元気になりおったのぅ。こ奴は。」
先日からの気分とは一転して晴れ晴れとした気分を満喫しながら、S.Aは歩き出して行った。
■華より団子
花見席に到着してから約一刻・・・花見の大宴会が最高に盛り上がっていた。
到着してからすぐに門井と半兵衛が抜けたため、皆は宴会もほどほどに花見を楽しんで
いたが、二人がS.Aを連れて帰って来るやいなや、飲めや唄えの大騒ぎとなった。
「んぐ、んぐ、んぐっ・・・ん・・・ぷはぁぁ~。」
旦那達は酒焼けの顔を並べていた。
酒の量が増えてくるに従って、ただ酒を飲むだけでは物足りないらしく、彼らの間では花見席での恒例「飲み比べ」が始まった。
我こそはと言う者達が名乗りをあげ、互いにどれだけ飲み干すことができるかを競い合う。
場の方もさらなる盛り上がりを見せてきた。
無論、その中にかいざーとS.Aの姿もある。
「ど、どうやぁ~・・・わいは絶対っ負けへんでぇー!!」
「まだまだぁぁぁぁぁぁ!!!」
顔の二個分ぐらいの大きさの巨大な杯を顔まで持ち上げ、一気に酒を飲み干す。
二人の顔は、まさにたこのように真っ赤にできあがっていた。
「かいざーあんちゃん、がんばれぇぇぇぇ!!」
「S.Aあんちゃん、まけるなぁぁぁぁぁ!!」
などと、二人の勝負を見ている子供達からの応援や・・・
「二人とも、粋な飲みっぷりよ!きゃぁ~!」
などという、応援だか、ただの叫びなのかわからない娘達だが、振り袖を揺らせながらはしゃぐ姿などはなかなか魅力的なものだ。
「有紀はんっ!!わ、わいは、有紀はんの為、こ、この勝負、負けまひぇん!!」
「い、いきなり何言うのよっ!S.A!!」
酒が入っていないにも関わらず、赤くなった有紀を見て、周りの同年代の者たちがほっておく訳がない。
「何々~?有紀とさS.Aってそんな仲だったんだぁ~。」
「隅におけないなぁ~。有紀も。」
「S.A~!!有紀の為にも負けるなぁ~!」
「ま、任しときぃっ!」
「おれへの応援はなしかいっ!!!」
やけになったかいざーはさらなる杯に手を伸ばした。
「ど、どうやぁぁぁ!わ、わいの勝ちやでぇ~~。」
ついにかいざーが手に盃を持ちながら、尻餅をついた。
どうやら、足がもう駄目らしい。
「う・・・・・・。」
見物していた者たちからの拍手喝采によれよれにながらもS.Aは手を振って答えた。
傍らでは、今にも死にそうな顔をしたかいざーが仰向けになって倒れている。
「有紀はぁぁぁぁん・・・・・・わいはぁぁ~、勝ちましたでぇぇ~・・・。」
よれよれになりながらも、有紀によだれかかるように抱きついた。
「うっ、お酒臭い。こっ、こらっ!抱きつくなぁぁぁ!!」
「おっ!昼間っからぁ~見せてくれるじゃねぇかっ!!」
「よっ!お二人さん、似合ってるぜ~。」
「酔いどれ若夫婦ってかぁ?」
「有紀って大胆!!」
見物人からのはやしたてる声に有紀は耳まで真っ赤になって棒立ち状態。
「拙者は認めん!!認めぬぞぉぉ~~うぃ~」
こちらもすでにかなり酔っているしっぽが見物人の壁を押しのけて、二人の元に近づいてきた。
「有紀殿~、このしっぽが来たからには・・・ひっく、安心めされい~・・・うぃ。」
有紀に抱きついているS.Aを引き離した。そして適当な所にS.Aを置いてくると、何やら扇子を懐から取り出した。
「有紀殿ぉ~・・・拙者の十八番をとくとぉごらんあれぃ!!」
すでに千鳥足ではあるが、扇子を片手に構えをとる。
「さぁ~けぇ~・・・のぉ~めぇ~・・・・・・のぉ~めぇ~ぇぇぇぇ・・・うぇ。」
しっぽが十八番と自負している黒田節・・・であるが、正直言って、下手であったのだが、
千鳥足の上、真っ赤な顔でひょうきんに唄い踊る所などが非常にこっけいでいて、周りの者
達に受けが良い。
すると、自然に周りから唄に合わせて手拍子が鳴って来た。
これに気を良くしたのか、しっぽはさらに舞いを激しくした。
「わしもっ!わしもやるぞぉ~。ぎゃははははははぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
しっぽの舞いにつられてか、半兵衛が奇声を上げながら見物人をかき分けてしっぽの元
へと駆けつけた。
裾をまくし立て、腕をまくり、手ぬぐいのほおっかむり姿の半兵衛を見て・・・
「徳川家剣術御指南役」
と言われても信じる者は、この広い江戸にさえいないだろう。
見物人の方もまたおもしろい奴があらわれたと、おもしろがって歓声を上げた。
すると半兵衛につられてか、見物人の方からも、自慢の踊りを披露し始める者も現れ始め、その一帯は、唄と踊りの者たちで大騒ぎとなった。
ようやく解放された有紀が一座を見渡すと、門井の姿が見えないのに気が付いた。
そこで、ちかくに居た長屋の女房衆に聞いてみた。
「ああ、門井さんあら、さっきあっちの方に行ったよ。」
と、出店のある方向を指さした。
その指さした方向をよく目を凝らして見てみると・・・水茶屋で門井が色っぽい化粧を施した女と話し込んでいる。
女房達曰く・・・
「門井さんも、昼間からお盛んなことねぇ~。」
だそうだ。
向島の花見と聞けば、男共が思い浮かべるのは、花は花でも別の華。
寺の境内などにある桜の見所とは違って、こちらには水茶屋などの店が建ち並び、夜ともなれば、深川の芸
者の者たちや、岡場所の遊女、水商売の女達など、華真っ盛りとなる。
門井の話している女も、おそらくそういう者たちの一人であろう。
「もうっ、知らないっ!!」
さすがは抜け目の無い男である。
これで夜の準備も万全というわけだ。
「なになになにぃ~・・・門井の奴だけ抜け駆けだとぉぉ!!!」
門井が居なくなっている異変に気づいた旦那衆が騒ぎ始めた。
「一人だけ良い思いをしようったって、そうはいかねえぞぉ!」
「おおぉ!!」
との具合に華を求めて茶屋へと向かい始める旦那衆達に、女房達も・・・
「あんたたちの目は節穴かいっ!!華ならここにいっぱい咲いているじゃないかっ!!」
女房達も負けてはいないようであった。
「う~・・・飲み過ぎた・・・気持ち悪ぃ~・・・。」
「わ、わいも・・・。」
「ぶ、武士たる者が・・・うぇ。」
唄と踊りがようやく収まった頃、三人そろって大の字になって倒れていた。
どうやら、立ち上がることもままならないらしい。
「これが、飲み過ぎた罰ですよぉぉ~だ!」
にっと笑みを浮かべた有紀が彼らの視界に入った。
有紀に付いてきた武之介も不思議そうに彼らを見つめている。
両手にまだ手を付けていない団子を持っている。
おいしそうに一つずつ食べるのであろう。
「お兄ちゃん達ね、大声出したり、騒いだりしていたでしょ?だからね、天罰が下ったのよ。」
「わーいっ!天罰、天罰!!」
意味も分からずはしゃぐ武之介の声に三人は頭を抱えた。
「ま~ったく、こんな良い娘がここにいるっていうのに、誰も見向きもしないんだから・・・せっかく、着飾って来たのになぁ~。」
「有紀姉はどう見たって・・・おきゃんなだけだって・・・。」
「な~に~か~言ったぁ?かいざぁ~。」
「わ、悪かったぁ~。だから、揺らさないでぇ~。」
「たとえ、有紀はんがおきゃんであろうとも・・・わいの気持ちは変わらんでぇ・・・。」
「拙者・・・おきゃんな有紀殿も良いと思うのでござるが・・・。」
「そ~んな事言って、夜になったら茶店あたりに行くつもりなのでしょ?」
「ゆ、有紀はんも行きまへん?」
「ぬっ!抜け駆けは許さんぞぉ~。」
「抜け駆けやあらへんて。」
冗談なのか本気なのか分からない事を言い合っている二人の横で、かいざーはまるで死人の様に顔を青ざめていた。
彼の視線の先には有紀の顔がある・・・引きつった笑みの。
「(逃げたい・・・だが、身体が動かない・・・誰か助けてぇぇぇぇぇ!!!)」
かいざーの心の叫びは届かなかった。
話に一区切りがついて、改めて有紀の顔を見直した二人の顔が瞬時にこわばった。
「ゆ、ゆ、有紀はん、冗談や、冗談やでっ!」
「そ、そ、そうでござるぞ。ゆ、有紀殿。」
「武之介、馬に乗る遊びを教えてあげる。」
引きつった笑みを浮かべながら、有紀は武之介に話しかけた。
「お馬さん?」
「そう。こうやって・・・お兄ちゃん達の・・・おなかの上に乗るのっ!!
言うや否や、武之介を抱き上げて二人の腹の上に乗せた。
「うげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「なんで、俺までぇぇぇぇぇぇぇ~~!!!」
とばっちりをうけたかいざーの悲鳴まで聞こえた事にはちょっとかわいそうなことをしたかなと一瞬思ったが・・・
「日頃の罰だ。」
苦しむ三人を尻目に武之介は彼らの腹の上でおいしそうに団子をほおばっている。
「くすっ。ほんとっ・・・華より団子なのは武之介だけだわっ。」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、つぶやく有紀の姿に、三人は同じ事を思っていた。
「来年こそは、華より団子にしよう」
完
■江戸時代の花見について
江戸時代の主なお花見場所と言えば、「上野」、「飛鳥山」、「墨田堤」となります。
上野の東叡山(とうえいざん)には、たくさんの桜があり、毎年、花が咲くと、山全体
がまっしろになり、近くから見れば雪が風に舞った様に見えたそうです。
飛鳥山は享保の頃から上野にかわって人々が集まるようになったそうです。
数万歩をこえた広い芝生の岡全体に桜が植えられて、桜花爛漫であったと当時の記録に載っていました。
今回、話の中に上げた墨田堤ですが、こちらも飛鳥山と同じくらいの人手があったそうです。
道の両側に桜の木が立ち並び、道を通る度に花形あでやかで、その香りがぷんぷんとしてきて、見事であったとこれまた当時の記録に載っていました。
他にも名所と呼ばれる桜がある寺社などがあったのですが、先に挙げた三つの様な人出は有りませんでした。
その理由としては・・
1.寺社内では飲酒・食事などが厳禁とされていた。
2.派手な遊びや振る舞いが境内では許されなかった。
それに比べて、飛鳥山や墨田堤などは、飲み食いを自由であったし、派手な遊びや振る舞いも許されていました。
花見客を目当てとした「団子屋」や「茶店」などの出店が大いに出ていました。
やはり、当時の人も花を見るだけじゃ物足りなかったようですね。
墨田堤に人出が多かったのには、もう一つ重大な理由がありました。
それは・・・
「近くの岡場所や水茶屋などの芸者や遊女達が夜になると花見に訪れる」
と桜とは違った華で墨田堤が咲き乱れたからです。
もちろん、それを目当てとした男達が押し寄せて来たことは言うまでもありません。
ですから、「墨田堤へ花見に行く」と言えば、女房達にさぞ疑わしい目で見られたのでしょうね。
現代の様に発達した交通手段を持たない江戸時代の人々にとっては、花の名所のある郊外へ出かけるということは、一日がかりの遠出になりました。
しかし、女や子供にとって花見は、町の外に出る数少ない機会であったため、その楽しみは大きく、したくも大がかりでした。
特に花見は女性達の衣装比べの場でもあり、貧困とわず皆精一杯におしゃれをしました。
思い思いに数奇をこらした衣装で美しさをきわだたせた娘たちは、裾をかかげうつむいて、上気した顔で、おもわせぶりの目つきで、あるいは、よい香りをあたりにふ
りまきながら、袖を振りきどって、注がれる視線を十分に意識して花見の下を歩いたそうです。
男共にとっても、花見の時期は特別な時期であったのでしょうね。
■筆者より
私こと長尾武之介の処女作となるこの「華より団子」を読んで下さりまして、この武之介感謝の気持ちで一杯です。
「華より」を書く約半年まえぐらいから時代劇にのめり込んでいった時代劇にも若葉マークの私なのですが、最近常に
「捕り物、斬り合いもおもしろいが、それよりも江戸時代の人々の生活をもっとよく知りたい。」
と思うようになりました。
その思いに基づいて、この「華より団子」を書いたつもりなのですが、まだまだ素人並の江戸時代
知識&文章能力の私なので、読んでいる途中で・・・
・文章がおかしい
・間違い点(江戸の生活、花見、地名 等々・・・)
などが多々あると思います。
その時は私の元にメール等でお知らせいただけると幸いです。
もちろん、感想の方もお待ちしております。
どうか、よろしくお願いいたします。
この「華より・・」を書くにあたってお名前を使わせていただくのを許可して下さった
かいざーさん、加持有紀さん、S.Aさん、門井さん、しっぽさん、誠にありがとうござ
いました。上原道場一同、心から感謝いたします。
つきましては、皆々様のHPへのリンクをこちらにはらせていただきます。
●お名前を使わせていただいた方々のホームページへのリンク●
かいざーさん
加持有紀さん
S.Aさん
門井さん
しっぽさん (HP確認)
(2006/11/23時点で確認致しましたところ、上記のHPは封鎖および移転になっているためか、HPが存在しておりませんでした。(つД`))