◆お芝居情報◆

【放送日】1999/05/20   【お芝居】少年老い易く、伊勢成り難し


●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・補足 長尾武之介



◆本日の良かった点◆

●伊勢講で積み立てたお金で代参した和吉
このような事は、まずしい庶民層の人々は実際やっていました
みんな行きたいけれどなかなか行けません。
それゆえ、お金を出し合ってくじを引いて、当たった人に代参をしてもらったそうです。
代参(だいさん)
くじ引きなどで選ばれた代表者が講の積立金を持って参詣した。

くじは毎年引くので、ずっと積み立てていればいつかは行けました。


●お伊勢参りに行く時の恰好が良かった。
傘をしょって、ござを筒に丸めて、その先に柄杓を差していましたね。
あの姿を見れば
「あ、お伊勢参りだな。」
と分かる定番のスタイルでした。

あの恰好は無銭旅行の姿なのです。
丸めたござは、橋の下や神社や寺の縁の下で寝るという野宿を意味しています。
旅篭などは使いませんというわけです。
柄杓は、水を飲んだりそこにお金や食べ物をいただいたりするのに使うそうです。
ござを丸めてしょっていて、その先に柄杓を持っていたら、
「私は一文無しです。」
という意味になるわけです。

・・・となると、お芝居の最初に和吉をカモと見た団吉さんは、
『一番見る目がなかった』
ということになっちゃいましたね。(^^;


●お重さんの台詞「お金がなくても、お参りには行けるのに」
和吉をいさめていた時の台詞でしたね。
お伊勢参りは
「一文も無くても旅が出来たほどの社会的なサポートのある特別なお参りだった」
のです。

お伊勢さんは、現在の三重県にあります。
当時も江戸だけでなく、日本全国からお参りにきました。
かかった日数ですが、江戸からだと急ぎ足で片道十四、五日程度です。
(人にもよりますが)
ただし、物見遊山しながら行くので、往復二ヶ月くらいかける人が多かったそうです。


◆本日の間違い点◆

●●『お重・風松 食い倒れ心中』を行う場所が大川の百本杭
大川の百本杭は、歌舞伎などでもたびたび出てくる舞台です。
百本杭という名前の通り、
護岸の為に川の中に無数の杭
が打ち込まれております。

ですので、いろんな漂流物がひっかかる所でして・・・
たとえば町に出てすぐに誘惑に引っかかってしまう人のことを「百本杭」といいます。
すごくちびた下駄をはいていたりすると「百本杭の下駄」と言われたりもします。
それくらいいろいろ引っかかる場所です。

それゆえ、飛び込む人はいないんですよね。(^^;
飛び込んでも死ねない・・・という。(^^;


●大江戸伊勢参り事情●

■人々の楽しみであった「伊勢参り」■

広重画 「伊勢参宮 宮川の渡し」
浮世絵に見る江戸の旅』より
(佐藤要人監修、藤原千恵子編集、
河出書房新社、p68-69、2000/06/23)

文政13年(1820)の最大のお陰参りです。
お伊勢参りとお陰参りは違いまして、お陰参りはだいたい60年に一度くらいにブームになっておしよせてくるそうです。
お陰参り(おかげまいり)
約60年に一度、特に御利益があるという年には、爆発的な数の人々が参詣した。
この時には、約500万人の人々がお伊勢さんに集まるそうです。
(当時の日本の総人口は約3000万人なので、六人に一人が訪れているわけです。)

絵には、さまざまな姿が描かれています。
右下の方には、揃いの浴衣を着て三味線などでわいわいやりながら、出かけていく割とリッチな一行がおります。
伊勢講の手ぬぐいをかがげています。


犬が見えますが、何と「犬のお伊勢参り」もあったそうです!!
飼い主の夢に出てきて
「お伊勢参りがしたい」
とすると、首にお賽銭を結びつけてあげて送り出してあげます。
たいてい戻ってきたそうです。

一緒に行くお伊勢参りの人に可愛がられながら、ちゃんと伊勢まで辿り着くんだとか。
帰りには、みんなのお賽銭を十倍ぐらいにしてくるそうです。(^^;
犬のお伊勢参りに関する記録は実際各地に残っている。

犬の後ろには、少年が柄杓を一本持って参加しています。
これは抜け参りといいます。
親や主人に無断で、伊勢参りに参加してしまうのです。
もちろん無銭旅行です。

抜け参りは奉公人の方でも、行列が来るとぱっと紛れ込んでしまうそうです。
例えば、お米をといでいたお女中さんもさっと着の身着のままで参加してしまうとか。
そうしますと、沿道の人々がおいおい柄杓やござなど、旅支度をめぐんでくれます。
だんだん旅姿になってしまうそうです。

「このまま帰ると怒られるのでは?」
と思う人もいると思いますが、お伊勢参り(特にお陰参り)に関しては、
「そうして帰ってきた奉公人は元通り雇い入れる」
約束がありました。
抜け参り
子供や奉公人などが、親や主人に無断で伊勢参りすることが許されていた。

この伊勢講ですが、他のどんなお参り(富士講や熊野講)などの中でも最大の講でした。

■伊勢参りのキーマン「御師」■
このお伊勢参りを企画した人がおりました。
この人を伊勢の御師といいます。
御師(おし、おんし)
守り札や伊勢土産などを持って諸国を巡り、民衆の信仰心をあおった。
旅行代理店のような全国のネットワークがあったそうです。
伊勢の名物の白粉(おしろい)や簪(かんざし)、櫛(くし)や御札などを配りながら、伊勢のPRをしました。

上に掲載した「宮川の渡し」で、面白い所があります。
この川を宮川といいますが、子供たちが水垢離(みずごり)をしているのです。

伊勢様はたいへん神聖な所です。
それゆえ、行く前にこうやって身体を清めるのだそうです。
ですが、旅人もだんだん不精になってきてしまったのでしょう。
子供にお金をやって、かわりに水垢離をしてもらうようになってしまいました。
これを代垢離(だいごり)といいます。

もちろん、信仰の深い方もいましたが、物見遊山に近いものでありました。


お陰参りの他には、20年に一度の遷宮の時にもたくさんの行く人がおります。
それでも毎年、50万~60万の人々がお伊勢様に参詣に来たそうです。
遷宮(せんぐう)
伊勢神宮では20年ごとに神殿が新築され、御神体がうつされる。

江戸時代の人々にとって、お伊勢参りは
『一生に一度の一大イベントだった』
のですね。(^o^)

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