◆お芝居情報◆

【放送日】1999/08/26   【お芝居】心中は一見にしかず

配役 出演者名
金太 桜 金造
和吉 えなりかずき
三次 魁 三太郎
重奴 重田千穂子
八重之丞 水谷八重子
お冬 坂本冬美
与一郎 林 与一
和右衛門 北村和夫



●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
補足 長尾武之介



◆本日の良かった点◆

●蝿たたきが正確でした
当時は棕櫚(しろ・しゅろ)の葉っぱであのように作っていました。


◆本日の間違い点◆

●金太と重奴が「心中して有名になったら親孝行ができる」と言っていましたが・・・
逆縁といって、『親より先に死ぬのが最も不孝で大罰当たり』です。
口にするだけで、しかられてしまいます。
(芝居に「心中」という言葉が使われていた。)

心中というものは、江戸中期、吉宗の時代に非常にいましめられてまして、題材にすることさえはばかられたのです。
心中という言葉そのものも禁止されるくらいでして、題としては難しくなってくるのです。
享保年間、幕府は心中という語句を禁じ、相対死(あいたいじに)と表現させた。

●八重之丞がつけていた「ひらり帽子」
江戸の歌舞伎芝居は女優さんがいませんでした。
それゆえ、女形(おやま)の役で出ていたのだと思いますが、少年から青年になる時に前髪を落としてしまいます。
その剃り上げた前髪を隠すために、ひらり帽子をつけていたのです。

●八重之丞が「絹の浴衣を・・・」と言っていましたが・・・
絹の浴衣と言いますと、非常に珍しくて良いと思います。
ですが、役者さん達は派手な事をちょっとでもすると当局の目に触れてしまいます
座元までお咎めをうけかねません。
……という事で、舞台衣装などでも一見派手にみえても実は木綿であったり、当局をはばかってなるべくその様にしておりました。

七代目の団十郎が舞台で本当に派手な物をお召しになったことがありますが、所払いになってしまったくらいに厳しかったのでした。


●大江戸芝居町事情●

■江戸における芝居町■
歌舞伎と今の私たちは言いますね。
でも当時は「芝居」、そして江戸の訛りでは「芝や」(?)という呼び方をしました。
今でもそのような使い方をするらしく、林さんのお話によれば、
「お芝居で使う。役者の役の時は「芝や」、町人の時は「芝居」と言った。」
としたそうです。
江戸っ子はみんな「しばや」で、江戸訛りと言われました。

当時の芝居町というと、葺屋(ふきや)境町という日本橋の辺りで、非常に中心地にありました。
その他には木挽(こびき)(今の歌舞伎座の近く)でした。
境町、葺屋町と木挽町にあった芝居町は後に猿若町に移された。
大変に栄えました。
しかし、決められた所にしかこういった芝居小屋を建てることができません。
■江戸の三座「中村座・市村座・森田座」■
堺町葺屋町戯場
「堺町葺屋町戯場」
新版 江戸名所図会 上巻』より
(鈴木棠三・朝倉治彦校註、角川書店、p138-p139、1975/1/10)

これは、葺町と堺町、合わせて二丁町と言いました。
これに中村座市村座がありました。
木挽町には森田座がありました。
他に、江戸の初期に山村座という所があったのですが、江島・生島、大奥の奥女中と役者の色恋沙汰でお取りつぶしにあっているんです。
江島・生島事件(えじま・いくしまじけん)(1714年)
奥女中・江島(絵島)と役者・生島新五郎の恋愛スキャンダル。
関わりのあった山村座は取りつぶされた。

実はこれ、大奥の内輪もめの内紛をかぶってしまったという非常に気の毒な事だったのです。
とにかく、芝居小屋は御上からしめつけが厳しかったのでした。

庶民からは絶大な人気でした。
この芝居町で、一日に1000両のお金が動くのです。
他に日本橋の魚河岸吉原、この三つが「日に1000両の町」と呼ばれました。

そんな芝居町ですが、吉原と並んで芝居町が悪所として御上からにらまれていました。
それだけ、御上のお触れが耳に入らない程、庶民が熱狂していたということです。
■芝居に熱狂する人々■
木挽町芝居
「木挽町芝居」
新版 江戸名所図会 上巻』より
(鈴木棠三・朝倉治彦校註、角川書店、p208-p209、1975/1/10)

木挽町の森田座に人がびっしり群衆している様子が描かれています。

芝居顔見世の図
「芝居顔見世の図」
東都歳時記3』より
(齋藤月岑・朝倉治彦校注、平凡社、p44-p45、1972/11/10)

中村座の顔見世興業です。
色々な人が描かれています。

衣装運び
●衣装運び
黒いつづらを運んでいる人が、役者さんの衣装を運んでいる人です。

上客
●上客
その隣、駕籠で乗り付けているのは、本当に立派な高級車で乗り付けてくるようなお客様です。

幟
●幟
今のように、「市川団十郎丈」とか「岩井半四郎丈」とか、幟(のぼり)がたっています。

上演時間ですが、朝の明六ツ~暮六ツまで12~13時間にわたる長丁場です。
ゆえに、そこで食べたり飲んだりする訳ですが、さすがに疲れてしまいます。
そこで、今回のような三次さんの経営する芝居茶屋が重要になってきました。
芝居茶屋は、長時間の芝居見物での食事や休憩の場所でもあった。

そこで、横になって休んだり、お着替えをしたりします。
女性客の場合だと、一日のお芝居のうちに3~4回はお召し替えをしました。
お色直しですね。
そういうのを全部含めたのが芝居見物なのです。
そういう歌舞伎芝居が情報の発信地でもあり、ファッションリーダーでもあったわけです。
■おまけ 上原漫画「半兵衛・役者を志す?の巻」■
上原漫画
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