神田は、大変腕の良い職人衆が集まっていまいした。
江戸城を建て上げる時に家康が、
神田に腕の良い職人だけをあつめて町を造ってしまったのだそうです。
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幕府が開かれた際に、全国から集められた職人衆の移住区を神田に定めた。
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神田には、たくさんのいろんな職種の人が住んでいました。
日本橋の北の方を[「日本橋北」といって、大きな大店・商店が並んでおります。
今川橋よりも北が神田と呼ばれます。

「今川橋」
『
新版 江戸名所図会(上巻)』より
(鈴木 棠三・朝倉 治彦校註、角川書店、p92-93、S50/1/10)
今川橋は、
商人地と職人の町を隔てている橋です。
両側に瀬戸物屋がたいへん多くありまして、水瓶、七輪、すり鉢などいろいろな瀬戸物が置いております。
この橋を境にしていたと考える方が良いとのことです。
(図で言いますと、
右上が商人地、
左下が職人地となっております。)
神田に「縦大工町」、「横大工町」という町がありまして、大工がこのあたりにたくさん住んでいました。
この一帯の職人衆は、
江戸城の御用達が多数住まっているのでエリート集団です。
職人だったら、このあたりに住みたいと思っていたくらいだったそうです。
左官屋は、白壁町に住んでおりました。
この白壁町には、
平賀源内も一時、住んでいたということで有名です。
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平賀源内(ひらがげんない)(1728~1779)
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本草学、戯作などあらゆる分野で才能を発揮。
エレキテルの作成で有名。
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ちょっとおもしろい所で、神田の地図の中に
「千葉周作」という名前の所があります。
この名前にピンッと来た方、けっこういらっしゃるのではないでしょうか?
幕末の剣客で、お玉ヶ池の所に道場がありました。
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千葉周作(ちばしゅうさく)(1794~1855)
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幕末の剣客。
お玉ヶ池の千葉道場(玄武館)は江戸三大道場の一つ。
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~町(ちょう)と
~町(まち)とありますが、この分け方には
厳密な区分けはありません。
ただ傾向として、「小川町」、「麹町」など
「まち」と読んだ場合は武家地が非常に多くあります。
「須田町」「白壁町」と
「ちょう」と読む場合は町人地が非常に多かったそうです。
例外として「番町」は武家地で、神田に「つかさ町」という町がありまして、これは町人地でした。