◆お芝居情報◆

【放送日】1999/11/04
【お芝居】盗人の冷水

役柄役名出演者名
金太 桜 金造
和吉 えなりかずき
三次 魁 三太郎
お重 重田千穂子
お詢 石原詢子
お景 竹下景子
熊吉 熊倉一雄
お江戸でござる オリジナルソング
曲名 みれん酒
作詞 里村龍一
作曲 水森英夫
石原詢子




●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●町方の御用聞きである和吉親分が出張っていましたが・・・
実は江戸時代を通じて一家皆殺しという事件はめったに起きませんでした。
もし起きたとしますと火盗改、つまり火付盗賊改(皆さんもよくご存知の鬼平の様な方です。)が真っ先に出てくるのです。
ということで、凶悪事件の場合、町方の御用聞きの出る幕ではないことになってしまいます。
多少、お手伝いはしますが、最後尾になってしまいます。
つまりそれだけ凶悪事件が少なかったということです。
とても自治が良かったのでした。
火盗改(かとうあらため) (火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)
放火の予防や盗賊博徒の逮捕などなど、凶悪犯罪の取り締まりが多かった。

●今回、一芝居をうつ為に50両もの大金を盗ませようとしていましたが・・・
当時は「10両盗めば首が飛ぶ」という時代ですから、足がついた場合、金太さんも熊吉さんも首が飛んでしまいます
そして当時の町奉行は検挙率が非常に優秀ですから、あまり危ない事をしない方がいいでしょう。
洒落にならないということになっちゃいます。

ということは、
「10両で首が飛ぶということは9両でやめておけばいいのですか?」
と思いませんか?
はい、その通りです。
それで川柳、言い回しなどに
「どうして九両三分二朱」
というのがあります。
「どうしてくれよう」にかけているのですね。(^o^)
10両から2朱引いたのが9両3分2朱なのですが、上の川柳の意味は
「これだけ盗まれても首をはねることが出来ずにくやしがる」
というのだそうです。


◆本日の良かった点◆

●屋根の上を登っていましたが・・・
それにしても大変滑る屋根でしたね。(^^;
当時、夜になってしまうと町々の木戸が閉まってしまうので、泥棒が逃げるときに屋根伝いに逃げなくてはならないのです、道が通れないので。
屋根の上を上手に伝えないと泥棒とは言えないわけなのです。
(ま、あまり上手に伝ってはいませんでしたけどね。(^^;)
大変良い設定でした。


●大江戸夜事情●

■夜の時刻■
まず夜の呼び方についておさらいをします。
(時の図)

「今何時だい?」「七ツ」などそういう言い方をします。
まず真夜中が九ツです。
そしてお昼の正午も九つです。
(つまり、今の時計で言うと0時にあたるのが九ツというわけです。)
江戸は九ツが基準だと考えると時の数え方が簡単になります。

なぜ九ツなんて半端な数字なのでしょう。
実は、九ツというのは中国から来た数字です。
中国では奇数と偶数を陰と陽といいます。
(偶数を陰、奇数を陽)
つまりおめでたい数として奇数を用いていました。
その奇数の中でも一番大きい、つまり一番めでたい数が九なのでこれを基本に、ということになりました。

●減っている様に見える訳●
9×1=  ・・・九ツ
9×2=1 ・・・八ツ
9×3=2 ・・・七ツ
9×4=3 ・・・六ツ
9×5=4 ・・・五ツ
9×6=5 ・・・四ツ
つまり時が進んだら10の単位を抜いた数を呼んでいるわけなのです。
時間が経つにつれて九ツ、八ツ、七ツ・・・と減っているように見えますよね。
それは違いまして、実は増えているのです。
9の倍数になっているのです。
9の倍で18、その1の単位だけをとって八ツ。
9の三倍で27、その1の単位だけをとって七ツ。
つまり10の単位を抜かして読んでいるのです。

上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
夜回りは大変ですものね。(^^
それくらいは勘弁しますよ、先生。
でも、九ツから七ツまで・・・
どこにいたんだろう?(武)
■呼び方で異なる時刻の意味■
数字で呼ぶ時は幅はだいたい約2時間あるのですが、そのまん中の時刻をさします。
(例として九ツは現代では23~25時のまん中ということで24時を表します。)
十二支(干支)で呼ぶ時には、2時間というゾーンを全部示すのでアバウトな感じになります。
(例として子の刻は23~25時という表し方になります。)
庶民の間では、九ツ、八ツ、七ツ・・・という数え方が一般的だった。
夜はお昼と違ってちょっと細かな数え方がありました。
ゾーンになっている干支の部分を4個ないし5個に分けて呼ぶ場合があります。
「草木も眠る丑三ツ時~・・・」は丑の時刻の最初から3番目ということなのです。

暮六ツというのはお日様が沈んでからちょっと後の時刻になります。
つまりお日様はもう地平線の下にいます。
明六ツはまだ日の出の前ということで地平線の下にあるという時刻になります。
まだお日様は隠れている状態です。

だいたいの目安として暮六ツになりますと、たいていのお店が店じまいとなります。
暮六ツで戸を閉めて、宵の五ツくらい(8時くらい)に子供を寝かせて、夜の四ツ(10時くらい)に木戸が閉まります。
夜の九ツ(12時くらい)までに夜警(夜回り)が終了します。
暁七ツの時に夜通し営業していた夜鳴き蕎麦が営業をやめます。
また七ツは「七ツ立ち」と言われまして、旅人が夜明けの2時間くらい前ですから提灯を持って旅立って高輪のあたりでフッと消します。
「お江戸日本橋七ツ立ち・・・」と唄の通りですね。
そして明六ツでお店を開けるという事になります。


■真夜中の江戸の姿■
虎の門外あふひ坂
広重画「名所江戸百景」より
ここが広重・画 「東京百景」』より
(堀晃明、小学館、p75、2000/7/1)

虎の門外葵坂の江戸の夜景です。
上の方に赤坂のため池がありまして、落差のある瓢箪型のため池から水が落ちています。
辻番
こちらに屋根が見えていますが辻番所といいまして武家の交番です。
こちらの辻番所で、徳川家の紋章である葵を栽培していたそうです。
そこでこの坂を葵坂と呼んでいました。
辻番(つじばん)(つじばん)(辻番所)
武家が武家屋敷自警のために設けた番所

松平肥前守の中屋敷
なお、葵坂の南にそってある御屋敷は、松平肥前守の中屋敷です。

内藤右近将監
右上の方にひときわ明るいお屋敷があります。
内藤右近将監(ないとううこんのしょうげん)というお大名です。

月が細く出ているのでみんな提灯無しには歩けず、明かりを手に手に持っています
(※それくらい、江戸の夜は暗いという事です)
中でも目立つのが半裸体の二人で、一人は手に鈴を持っています。

そして少年のほうは「金比羅大権現」と提灯に書いてあり、もう一人は「日参」(ひまいり)とかいてあります。
というのは寒詣(寒詣り)といいまして、寒中の最も寒い時期の30日間願掛けに通っているのです。
職人の弟子達が技能の上達を願って、金比羅大権現などに参拝した。
熱心な方たちですね。

太平しっぽく
右下に見えますのが、「太平しっぽく」とありましてうどん屋さんです。

二八そば
まん中には「二八そば」とありお蕎麦屋さんです。

「普通の人はもう寝ているのかな?」と思うかもしれませんが、その通りですね。
というのも、なるべく早く寝た方が灯油の節約になります。
当時、「油一升、米三升」と言いまして、お米の3倍の値段がつくというのが基準でした。
菜種油は特に高価で、米の約3倍の値だった。


■夜中には閉められた木戸■
星の霜当世風俗 潜戸
国貞画「星の霜当世風俗 潜戸」
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人監修、藤原千恵子編、河出書房新社、1997/11/10、P108)

江戸の町々は、木戸と呼ばれるいわゆる「門」のようなもので、通行を制御されておりました。
この木戸は、おおよそ宵五つ~夜四つ頃に閉められました。
(現在の時刻だと、およそ20時~22時頃)

木戸を閉められてしまいますと、基本的には通行することができません
つまり、町屋に入る事ができなくなってしまうのです。
どうしても通りたい場合は、木戸番という木戸の番人をしている人に了解をとる必要があります。
そうする事で、例外的に通して貰う事ができました。
左図はそんな例外を認めて貰って、潜戸(くぐりど)から通る女芸者さんです。
また、医師や産婆といった人命に関わる人々の場合は、そのまま通行できたそうです。

このような例外で人が通過をした場合、送り拍子木といって、木戸番が拍子木を打って、次の木戸番に通行人がいることを知らせます。



現代の夜の街中に比べると、江戸の夜というのは、かなり様相が違っていたようですね。
明かりがないから、提灯が絶対に必要になるし・・・
木戸も閉まってしまうから、そう簡単には夜遊びなんかできない。
いろいろと不自由する事もあったかと思いますが、こういった事から江戸の治安が守られていたのでしょうね。


■参考文献■

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