現代の様に電気による照明器具が無かった江戸時代では、闇夜を照らすために何かを燃やしておりました。
一般庶民たちが主に使っていたものに「
行灯(あんどん)」があります。
行灯は、
木や竹のわくに紙を貼り、中に油皿を入れて芯を入れて火をともす照明具です。
油には菜種油や魚油などが主に使われました。
照明器具の最高級品に
「蝋燭」があります。
行灯よりは明るさがあるものの、現代の電球には遙かに及びません。
如何に現代の照明器具が優れた物かが伺えますね。
江戸時代の照明器具には、以下のようなものがあります。
■角行灯(かくあんどん)■

鈴木春信画 「蚊帳の母子」
『
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p104、(1996/6/25))
四角形の室内用の置き行灯です。
枠に紙を張り、中に油皿を置いて火をともします。
紙を通しているため、全体的にぼんやりとした明るさです。
框(かまち)を開けないと書物などが読めないくらいの明るさです。
小堀遠州(こぼりえんしゅう)
(1579~1647)
本名・正一といい、遠州とは通称です。
慶長13年(1608)普請奉行として駿河城を築城した功で遠江守に任ぜらたことにより、「遠州」と呼ばれるようになりました。
駿河城を築城のほかにも、二条城、名古屋城などの建築・造園にも才能を発揮し、書画・和歌・茶道にもすぐれた才能を発揮します。
特に茶道については、彼独自の茶道である「きれいさび」を創り上げ、後世の茶道に多大な影響を与えました。
「将軍家茶道師範名」にも抜擢され、遠州流を起こすなど、美術工芸・茶道・建築など幅広い分野において活躍しました。
正保4年(1647年)没。
世寿69歳。
下克上漂う戦国時代を生き抜いた武将にも関わらず、美術工芸・茶道・建築など多大な功績があり、発明家でもあったらしいです。
「彼の発明による」というものがたくさん残っていることには驚かされました。(武之介)
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■丸行灯(遠州行灯)(かくあんどん・えんしゅうあんどん)■

鈴木春信画 「座鋪八景 あんとうの夕照」
『
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p101、(1996/6/25))
円筒型の室内用の置き行灯です。
この絵の丸行灯は円筒の部分が回転するようになっており、火袋を回転させることによって明るさの調整や油の追加などが出来ます。
小堀遠州の考案と伝えられており、
遠州行灯とも呼ばれています。
■小田原提灯(おだわらちょうちん)■

喜田川歌麿 「風俗美人時計 戌の刻 女房」
『
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p100、(1996/6/25))
中骨がリング状に独立していることにより、
小さく畳むことが出来る携帯性の優れた提灯です。
外出の際にも使われましたが、その携帯性の良さから、
旅の道具として利用されました。
袋などにいれて、腰に下げて持ち歩いていたそうです。
■箱提灯(はこちょうちん)■

歌川豊国 「江戸名所百人美女 田町・茶屋の娘分」
『
図説 浮世絵に見る色と模様』より
(近世文化研究会編、河出書房親書、p106、(1995/7/15))
折り畳みができる提灯です。
折り畳んだ時に
上蓋が下蓋にすっぽりかぶさることによって箱状の形になるため、この様な名前が付けられました。
貴族・武士などの持ち物でしたが、のちに吉原の遊女屋などで使われるようになりました。
柄はついておらず、取っ手をもちます。
行灯は主に室内用、
提灯は主に外出用に使われます。
【そのほかの様々な照明器具】
■がん灯■
筒の中の中心の蝋燭を立てて、2個の動く金具を利用することにより、
どんな状態でも蝋燭が垂直に立つようにした照明器具です。
現代における懐中電灯のように前方を照らします。捕縛の際などに使われました。
(ただ、がん灯をあまり早く動かすと、さすがに火が消えてしまいますが。(^^; )
■燭台(しょくだい)■
灯心を載せる灯台に、蝋燭を立てる釘をつけたものです。
燭台にはたいてい芯切
(しんきり)とよばれるピンセットのような物が掛けられるようになっております。
この芯切で炎を挟むことにより、灯りを消します。
(口で吹き消したりなどはしなかったそうです)
江戸時代には、さまざまな照明器具が発達してきました。
しかし、
灯りに必要な油が高価であったため、庶民達は節約につとめ、就寝は早かったようです。
その明るさから「不夜城」とまでうたわれた吉原・・・その豪華絢爛ぶりが、こういった面からもうかがえますね。(^o^)