◆お芝居情報◆

【放送日】2002/03/21 【お芝居】人間たまには青山あり

役柄役名出演者名
小料理屋「重きん」主人 金太 桜 金造
蝋燭屋「あかり屋」元手代 和吉 えなりかずき
蝋燭屋「あかり屋」元職人 三次 魁 三太郎
金太の女房 お重 重田千穂子
お夏 伍代夏子
蝋燭屋「あかり屋」元女将 お号 多岐川裕美
蝋燭屋「あかり屋」元番頭 二郎吉 坂上二郎
お江戸でござる オリジナルソング
曲名 九十九坂
作詞 たきのえいじ
作曲 八木架寿人
伍代夏子



●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●借金の抵当に店を取られて奉公人もろともお払い箱に
当時の蝋燭(ろうそく)は大変高価なものでした。
ゆえに一般庶民たちはほとんど使うことなく、上流階級の町人や大名・武家屋敷、料亭や花街といった所で主に利用されました。
またそういった場所からの注文も「月に何本何処様に」と決まっているので、月々の売上がたいてい決まっております。
そのような上等の顧客が蝋燭屋にはいるわけですので、店を買い取った方もそのまま商売を続けるほうがお得になりますね。
となると・・・お得意さんの情報を知っている番頭さんをやめさせるわけにはいきませんね。
さらに、蝋燭を作る技術を持っている職人の三次さんもやめさせるわけにはいきません。
店の様子を大変よく知っている和吉もやめさせるわけにはいかない・・・
ということで、店を取られた場合でも奉公人はやめさせられることはなく、主人だけがやめるという形になります。
ですので、奉公人もろともお払い箱というケースはおかしいということになりますね。


●大江戸蝋燭事情●

■江戸を照らす明かり■
現代の様に電気による照明器具が無かった江戸時代では、闇夜を照らすために何かを燃やしておりました。
一般庶民たちが主に使っていたものに「行灯(あんどん)」があります。
行灯は、木や竹のわくに紙を貼り、中に油皿を入れて芯を入れて火をともす照明具です。
油には菜種油や魚油などが主に使われました。
照明器具の最高級品に「蝋燭」があります。
行灯よりは明るさがあるものの、現代の電球には遙かに及びません。
如何に現代の照明器具が優れた物かが伺えますね。

江戸時代の照明器具には、以下のようなものがあります。
■角行灯(かくあんどん)
角行灯
鈴木春信画 「蚊帳の母子」
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p104、(1996/6/25))

四角形の室内用の置き行灯です。
枠に紙を張り、中に油皿を置いて火をともします。
紙を通しているため、全体的にぼんやりとした明るさです。
(かまち)を開けないと書物などが読めないくらいの明るさです。

小堀遠州(こぼりえんしゅう)
(1579~1647)

本名・正一といい、遠州とは通称です。
慶長13年(1608)普請奉行として駿河城を築城した功で遠江守に任ぜらたことにより、「遠州」と呼ばれるようになりました。
駿河城を築城のほかにも、二条城、名古屋城などの建築・造園にも才能を発揮し、書画・和歌・茶道にもすぐれた才能を発揮します。
特に茶道については、彼独自の茶道である「きれいさび」を創り上げ、後世の茶道に多大な影響を与えました。
「将軍家茶道師範名」にも抜擢され、遠州流を起こすなど、美術工芸・茶道・建築など幅広い分野において活躍しました。
正保4年(1647年)没。
世寿69歳。

下克上漂う戦国時代を生き抜いた武将にも関わらず、美術工芸・茶道・建築など多大な功績があり、発明家でもあったらしいです。
「彼の発明による」というものがたくさん残っていることには驚かされました。(武之介)
■丸行灯(遠州行灯)(かくあんどん・えんしゅうあんどん)
丸行灯,遠州行灯
鈴木春信画 「座鋪八景 あんとうの夕照」
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p101、(1996/6/25))

円筒型の室内用の置き行灯です。
この絵の丸行灯は円筒の部分が回転するようになっており、火袋を回転させることによって明るさの調整や油の追加などが出来ます。
小堀遠州の考案と伝えられており、遠州行灯とも呼ばれています。

■小田原提灯(おだわらちょうちん)
小田原提灯
喜田川歌麿 「風俗美人時計 戌の刻 女房」
浮世絵に見る江戸の一日』より
(佐藤要人・高橋雅夫監修、藤原千恵子編、河出書房新社、p100、(1996/6/25))

中骨がリング状に独立していることにより、小さく畳むことが出来る携帯性の優れた提灯です。
外出の際にも使われましたが、その携帯性の良さから、旅の道具として利用されました。
袋などにいれて、腰に下げて持ち歩いていたそうです。

■箱提灯(はこちょうちん)
箱提灯
歌川豊国 「江戸名所百人美女 田町・茶屋の娘分」
図説 浮世絵に見る色と模様』より
(近世文化研究会編、河出書房親書、p106、(1995/7/15))

折り畳みができる提灯です。
折り畳んだ時に上蓋が下蓋にすっぽりかぶさることによって箱状の形になるため、この様な名前が付けられました。
貴族・武士などの持ち物でしたが、のちに吉原の遊女屋などで使われるようになりました。
柄はついておらず、取っ手をもちます。

行灯は主に室内用提灯は主に外出用に使われます。

【そのほかの様々な照明器具】
■がん灯■
筒の中の中心の蝋燭を立てて、2個の動く金具を利用することにより、どんな状態でも蝋燭が垂直に立つようにした照明器具です。
現代における懐中電灯のように前方を照らします。捕縛の際などに使われました。
(ただ、がん灯をあまり早く動かすと、さすがに火が消えてしまいますが。(^^; )

■燭台(しょくだい)
灯心を載せる灯台に、蝋燭を立てる釘をつけたものです。
燭台にはたいてい芯切(しんきり)とよばれるピンセットのような物が掛けられるようになっております。
この芯切で炎を挟むことにより、灯りを消します。
(口で吹き消したりなどはしなかったそうです)

江戸時代には、さまざまな照明器具が発達してきました。
しかし、灯りに必要な油が高価であったため、庶民達は節約につとめ、就寝は早かったようです。
その明るさから「不夜城」とまでうたわれた吉原・・・その豪華絢爛ぶりが、こういった面からもうかがえますね。(^o^)
■蝋燭作りも手がける蝋燭屋■
番組内で紹介された絵が見つからなかったので、他の絵を掲載いたします。
蝋燭屋 蝋燭屋
「今様職人尽百人一首」(左) 「絵本吾妻の花」(右)
ヴィジュアル史料 日本職人史 第3巻 職人の世紀(下)』より
(遠藤元男著、雄山閣出版、1991)

上の絵では、蝋燭師が蝋を塗っている作業の絵です。
蝋燭屋では、蝋燭を商うだけではなく作ることまで手がけます

蝋燭屋
蝋燭を伸ばしている最中
蝋燭屋
最初は細いので一気に数本塗ることが可能ですけど・・・
【蝋燭の製作工程】
(1)蝋燭の原料となるハゼの実をすり鉢ですり、油を加えます。
(2)竃で蒸して、その熱で溶かします。
(3)和紙にい草の芯だけを巻き付けます。
(4)芯の上から真綿で締め付けておき、竹の串で刺します。
(5)ハゼの蝋を上から塗ります。(先太りみたいな感じにしていきます)
(6)乾かします。
(7)さらにその上にハゼの蝋を塗り重ねます。((6)(7)繰り返し)
乾かして・・・塗り重ねて・・・という作業になるので、時間もかかってしまい一日がかりの作業になってしまうこともあります。

後ろの柵の所に置いてある蝋燭は乾かしている物です
(1)~(7)の作業の中でもっとも難しいとされているのが、(5)の蝋を塗る作業です。
どろどろに溶けた蝋を手でつかんで芯に塗っていくのですが、蝋の熱加減が大変難しいそうです。
熱すぎれば蝋は流れてしまい、固まりません。
逆に冷めすぎると固まってしまって、思うように伸ばすことができなくなってしまいます。
(右上図はちょうど一本の蝋燭を伸ばしている所ですね)
それに季節の温度や大気の影響も蝋の固まり具合には影響を与えますから、尚のこと難しくなります。
ゆえに、一人前になるまでは大変な技術と感が必要です。
一人前にもなると、においだけでどこの産地なのかが分かるようになるとか!
「こいつぁ何処何処産だなぁ?良いとこ使ってるじゃねぇか」
なぁ~んて言っていたかもしれませんね。(^^;

江戸と髪型では、蝋燭の原材料も異なっているようです。
江戸の蝋燭には、ハゼの実をつぶしたものに油を加えたものです。
よって材料の調達が難しく、どうしても高級品になってしまいます。(純植物性)
逆に上方の蝋燭は、油に魚油や獣の油を使用しているので、安く仕上げることができます。(動物性)
江戸で使われる蝋燭のおよそ2/3は、上方から下ってきた蝋燭だったそうです。

番組内にて紹介された絵には「生懸請合(きがけうけあい)」と書かれた看板がありました。
「混ぜ物がない大変な高級品で、すべて塗って作ってあるので、変な煤(すす)が出たり、においがしませんよ」
という意味であります。
蝋燭屋の看板にはもってこいですね。


■路上の油商人■
油商人
「油商人」
江戸府内 絵本風俗往来』より
(菊池貴一郎著、有限会社 青蛙堂、p383、S50/9/25)

まるで火桶のような黒塗りの桶に銅の内張りをしたのを担いで商います。(図内の右・下ろしてますが)
紺無地の衣に小倉織りの帯をして前垂れをかけ、襷(たすき)がけという姿にて、行商を行います。
おもに午後に、お得意の場所を売り歩きます。
「へェ~、あぶらァ」
という売り声で売り歩きます。
この声を聞いて、長屋の人たちは油注しと取り出して、一合や五勺などの単位にて買っていったそうです。



■参考文献■

■このページに関してのご意見・ご感想■
掲載内容に関する感想・お問い合わせ等がありましたら、下記フォームよりご投稿下さい。
(「お問い合わせ」からも可能です)
お名前*  
件名
Mail,URL
メッセージ*
 






トップへ