和三盆などに代表される通り、
砂糖は高価なものでした。
砂糖が普及する前の江戸前期の頃は、庶民の甘みといえば
「干し柿より甘い物を知らない」
というほどだったのです。
砂糖に代わる食品として、干し芋、麦芽糖(水飴)、甘草
(かんそう)の絞り汁、甘葛
(あまずら)などがあったのですが、いずれにしても砂糖ほどの甘みはありません。
砂糖が普及するまえのお菓子といえば、意外にも
塩を使ったものが多く、塩大福・塩羊羹といったお菓子がありました。
「スイカに塩を掛けると甘く感じる」というのはご存じですよね?
あの
「素材の甘さを引き出すための塩」を使って、お菓子が作られていたのです。
今、大福や羊羹などと言いますと「甘いお菓子」と想像してしまいます。
ですが、この当時の大福・羊羹といえば
「塩味」というのが普通でした。
お茶無しでは食べられないようなものだったのかもしれませんね。(^^
大福や羊羹に砂糖が使われると、「砂糖大福」「砂糖羊羹」と区別します。
それほど砂糖がお菓子に使われるのが珍しい時代でありました。
では、江戸時代にあったお菓子をいくつか紹介いたしましょう。
●かりんとう●

「かりんとう売り」
『
大江戸ものしり図鑑』より
(花咲一男、(株)主婦と生活社、p138、2000/1/24)
武之介一押しお菓子!(笑)
てっきり最近のお菓子なのかな~って思っていたら、江戸時代にもありました。(^o^)
小麦粉を捏
(つく)ね、板状にして油で揚げたもので、黒砂糖が使われています。
一袋八文~十四文くらいで子供達に売り歩きました。
かりんとうの歴史は古く、その原型となるものは
遣唐使によってもたらされたそうです。
江戸時代にはいって、絵にあるような提灯を持ち、
「カリントウ深川名物カリントウ」
という売り声と共に売り歩きました。
子供達向けなのかな?と思いきや、夜間もこの大きな提灯を持ち歩いて売り歩いたそうです。
大人にも人気があったのでしょうね。
●羊羹(ようかん)●

「羊羹(羊肝餅)」
『
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p238、1991/5/15)
『和漢三才図会』には
「赤豆(あずき)を煮て粉にしたものを小麦粉とまぜで砂糖汁でこね、蒸す」(簡略)
と書いてあるのですが、これはたぶん「蒸し羊羹」の製造法でしょう。
羊羹といえばこの蒸し羊羹のことだったのですが、寒天入りの「練り羊羹」が出ると、江戸の菓子は急速に発展します。
羊羹は絵にあるような竹の皮に包んで、贈呈用としてもかなり使われました。
六寸(長さ)×一寸(厚さ)×一寸(幅)が普通の一棹の大きさだそうです。
練り羊羹の一棹
(さお)が銀二匁、蒸し羊羹の一棹銀一匁にて販売されていました。
●加須底羅(カステラ)●

「加須底羅」
『
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p240、1991/5/15)
南蛮菓子の中でも一番知られているお菓子ではないでしょうか。
江戸時代よりも前にポルトガルから伝わっておりました。
作り方は
「小麦粉・白砂糖を鶏卵の肉汁でまぜ、炭火で煎って黄色にする」
との記述が。
白砂糖や卵がたっぷり使われているわけですから、最上級のお菓子の一つです。
そのままでも食べましたが、
塗りのお椀に一欠片を入れて、冷水を注いで食べてもいたそうです。
更に驚くことに、お酒の好きな方は薄く切って、
わさびと大根下ろしを添えたとか。
今ではちょっと考えられない食べ方ですね。(^^;
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カステラの語源は、スペインのカステーリャ地方の地名に由来するなど諸説がある。
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●饅頭(まんじゅう)●

「饅頭」
『
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p220、1991/5/15)
『和漢三才図会』には
「小麦粉を甘酒でこね、餡(あん)をつつんで焙籠(ほいろ)に入れて蒸す。」(簡略)
とありますが、甘酒が使われていたのは知りませんでしたね。
饅頭の語源は、中国の三国時代における諸葛亮孔明が
「人の頭の代わりとして作ったために饅頭という名が生まれた」そうです。
江戸時代においては、上新粉(粳米の粉)と砂糖にすり下ろしたやまいも等を混ぜて作った
「著蕷饅頭」などが有名です。
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著蕷饅頭(じょよまんじゅう)
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蒸した里芋を裏ごしして砂糖を加えた高級饅頭
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