◆お芝居情報◆

【放送日】2002/06/27   【お芝居】復縁盆に返る

配役 出演者名
お夏の兄 金太 桜 金造
団子屋の主人 吟助 前田 吟
口入れ屋 三次 魁 三太郎
真次郎の女房 お重 重田千穂子
町娘 お夏 伍代夏子
京菓子職人 真次郎 川崎麻世
真次郎の息子 慶太 高崎慶佑
吟助の女房 お由紀 由紀さおり
お江戸でござる オリジナルソング
曲名九十九坂(つづらざか)
作詞たきのえいじ
作曲八木架寿人
伍代夏子


●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●京菓子の職を3年休んでいた真次郎が元居た店に呼び戻される
お菓子の世界は徒弟制になっており、先輩が後輩へと技術を教えていくことで、技術を伝えていきます。
その技術の中には、店の暖簾を守るための味の秘伝等もあります。
そういった秘伝が外部に出ていってしまう訳ですから、店を勝手に辞めるということは、
「店を裏切ったこと(背信行為)」
になってしまいます。
暖簾分けで店を出ることはいいのですが、主人の許可無しに勝手に辞めたような職人は、まず呼び戻されることはありません

また、真次郎さんは3年間もの間、京菓子の世界から離れております。
お菓子は毎年、季節のたびに新商品がでるので、3年明けた時点で時流に乗り遅れていることになってしまいます。
そのような真次郎さんが、元居た店からお呼びがかかるようなことはありません。


●讃岐に和三盆の技術を習得しに向かうお重
当時、讃岐の和三盆といえば、全国一の優秀な砂糖でした。
お菓子作りに砂糖が必要ということで、讃岐の和三盆作りに目を付けて修行に行くのは良いことなのですが・・・
和三盆は、大変な技術が必要で個人で作ることは不可能です。
それというのも、数人の手慣れた職人と、工場の様な大規模な施設が必要だからです。
ですので、技術を習得したとしても、一職人の女房が和三盆を作るということは、まず出来なかったでしょう。


●大江戸お菓子事情●

■江戸時代の高価な砂糖■
時代における砂糖の値段
『享和年間以降における砂糖の値段の変化』
※享和年間以前の砂糖の値段について情報ご存じの方がいらっしゃいましたら、何とぞ教えてくださいませ。m(_ _)m
日本における砂糖の栽培は、江戸時代初期の頃にはまだ行われておりません。
もっぱら長崎等の貿易によってもたらされる砂糖を頼っておりました。
ですが、徐々に時代が下るにつれて貿易量が減ってきたため、砂糖の値段が上がっていきました。
そこで八代将軍・徳川吉宗が砂糖の栽培を諸国に奨励し、寛政の頃になってようやく諸国にて砂糖の栽培が始まるようになりました。
砂糖が栽培されるようになり、砂糖の値段も落ち着きを取り戻します。
栽培が始まる前には一斤十匁(一斤:600グラム)くらいまで値上がりしていた砂糖ですが、文化文政、天保、弘化、嘉永年間(1804~1853)あたりには、砂糖の値段は一斤四匁前後で落ち着いておりました。
(多少の上下はありましたが)
■如何に砂糖が高いのか?■
大工』の項目でも説明しておりますが、幕末における大工の日当は五匁四分(くらい)です。
大工といえば、職人の中でも格上の職業として、羨望の眼差しを受けていた職業です。
その大工の日当とほぼ同等の値段なんですよね・・・砂糖。
(むろん安い砂糖も存在しておりましたが)
■江戸時代の砂糖・和三盆■
向山周慶(さきやましゅうけい)
(1746-1819)

高松藩主・松平頼恭が砂糖作りを命じた平賀源内・池田玄丈らの研究の後を継いで、白砂糖作りの製法を確立した方です。
医学者でもあった池田玄丈の弟子で、本人も医師でありました。
砂糖研究の最中に、四国遍路の途中にて病にかかった薩摩の関良介を助けたことにより、そのお礼として藩外持ち出し禁止のサトウキビを密かに受け取り、砂糖研究を重ねてついにその製造法を確立しました。
これによって藩内の砂糖生産量も増え、大阪などを通して讃岐の砂糖・和三盆が全国的に広まりました。

周慶と共に研究した関良介は、生涯薩摩に戻ることができなかったそうです。どんな思いで二人は和三盆を作り上げたのかは今は知ることはできませんが、後世の人々は彼らの功績をたたえて、二人の名から一字ずつをとった向良(こうら)神社を建てました。
機会があったら、私も彼らをたたえる一人として、向良神社をぜひ参拝したいものですね。(武之介)
江戸時代の有名な砂糖として「和三盆」(わさんぼん)があります。
三盆とは白砂糖のことをいいます。
この和三盆が流通するまでは、輸入品である「唐三盆(とうさんぼん)」、黒砂糖に赤砂糖(三温糖)しかありませんでした。
和三盆は国内産の砂糖という意味です。
(和の三盆、つまり日本の砂糖ですね)

和三盆は非常に高価であり、庶民達はなかなか口にすることができませんでした。
病気にでもならないかぎり、舐めることなどできなかったそうです。
「病気の時のカロリー補充」的意味合いがあったのでしょうか。
当時、砂糖は薬屋にて小売りされていました。

和三盆は「白くてさらさらしていて、口に含むとふわっと溶ける癖のない味」だそうです。
私は味わったことがないのですが、こう聞きますと、ぜひ味わってみたいですね~。(^o^)
「食べたことあるよ~」という方いらっしゃいましたら、ぜひ感想を聞かせてくださいね。

和三盆の産地としては「讃岐(さぬき)」「阿波(あわ)が有名です。
讃岐の和三盆作りは、かの平賀源内が砂糖作りの研究に当たっておりました。
しかし研究半ばにて故人となった為、その研究の後を継いだ「向山周慶(さきやましゅうけい)」によって製法が確立されました。
■江戸時代のお菓子■
和三盆などに代表される通り、砂糖は高価なものでした。
砂糖が普及する前の江戸前期の頃は、庶民の甘みといえば
「干し柿より甘い物を知らない」
というほどだったのです。
砂糖に代わる食品として、干し芋、麦芽糖(水飴)、甘草(かんそう)の絞り汁、甘葛(あまずら)などがあったのですが、いずれにしても砂糖ほどの甘みはありません。

砂糖が普及するまえのお菓子といえば、意外にも塩を使ったものが多く、塩大福・塩羊羹といったお菓子がありました。
「スイカに塩を掛けると甘く感じる」というのはご存じですよね?
あの「素材の甘さを引き出すための塩」を使って、お菓子が作られていたのです。
今、大福や羊羹などと言いますと「甘いお菓子」と想像してしまいます。
ですが、この当時の大福・羊羹といえば「塩味」というのが普通でした。
お茶無しでは食べられないようなものだったのかもしれませんね。(^^
大福や羊羹に砂糖が使われると、「砂糖大福」「砂糖羊羹」と区別します。
それほど砂糖がお菓子に使われるのが珍しい時代でありました。

では、江戸時代にあったお菓子をいくつか紹介いたしましょう。

●かりんとう●
かりんとう
「かりんとう売り」
大江戸ものしり図鑑』より
(花咲一男、(株)主婦と生活社、p138、2000/1/24)

武之介一押しお菓子!(笑)
てっきり最近のお菓子なのかな~って思っていたら、江戸時代にもありました。(^o^)

小麦粉を捏(つく)ね、板状にして油で揚げたもので、黒砂糖が使われています。
一袋八文~十四文くらいで子供達に売り歩きました。
かりんとうの歴史は古く、その原型となるものは遣唐使によってもたらされたそうです。
江戸時代にはいって、絵にあるような提灯を持ち、
「カリントウ深川名物カリントウ」
という売り声と共に売り歩きました。
子供達向けなのかな?と思いきや、夜間もこの大きな提灯を持ち歩いて売り歩いたそうです。
大人にも人気があったのでしょうね。

●羊羹(ようかん)
羊羹
「羊羹(羊肝餅)」
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p238、1991/5/15)

『和漢三才図会』には
「赤豆(あずき)を煮て粉にしたものを小麦粉とまぜで砂糖汁でこね、蒸す」(簡略)
と書いてあるのですが、これはたぶん「蒸し羊羹」の製造法でしょう。
羊羹といえばこの蒸し羊羹のことだったのですが、寒天入りの「練り羊羹」が出ると、江戸の菓子は急速に発展します。
羊羹は絵にあるような竹の皮に包んで、贈呈用としてもかなり使われました。
六寸(長さ)×一寸(厚さ)×一寸(幅)が普通の一棹の大きさだそうです。
練り羊羹の一棹(さお)が銀二匁、蒸し羊羹の一棹銀一匁にて販売されていました。

●加須底羅(カステラ)
加須底羅,カステラ
「加須底羅」
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p240、1991/5/15)

南蛮菓子の中でも一番知られているお菓子ではないでしょうか。
江戸時代よりも前にポルトガルから伝わっておりました。
作り方は
「小麦粉・白砂糖を鶏卵の肉汁でまぜ、炭火で煎って黄色にする」
との記述が。
白砂糖や卵がたっぷり使われているわけですから、最上級のお菓子の一つです。
そのままでも食べましたが、塗りのお椀に一欠片を入れて、冷水を注いで食べてもいたそうです。
更に驚くことに、お酒の好きな方は薄く切って、わさびと大根下ろしを添えたとか。
今ではちょっと考えられない食べ方ですね。(^^;
カステラの語源は、スペインのカステーリャ地方の地名に由来するなど諸説がある。

●饅頭(まんじゅう)
饅頭
「饅頭」
和漢三才図会 18』より
(寺島良安、東洋文庫、p220、1991/5/15)

『和漢三才図会』には
「小麦粉を甘酒でこね、餡(あん)をつつんで焙籠(ほいろ)に入れて蒸す。」(簡略)
とありますが、甘酒が使われていたのは知りませんでしたね。
饅頭の語源は、中国の三国時代における諸葛亮孔明が「人の頭の代わりとして作ったために饅頭という名が生まれた」そうです。
江戸時代においては、上新粉(粳米の粉)と砂糖にすり下ろしたやまいも等を混ぜて作った「著蕷饅頭」などが有名です。
著蕷饅頭(じょよまんじゅう)
蒸した里芋を裏ごしして砂糖を加えた高級饅頭

■江戸の和菓子屋さん■
番組内にて表示された絵は、著作権の都合上、掲載いたしません。
(道場所有資料より代用します)
船橋屋,和菓子屋
「船橋屋」(渓斎英泉)
大江戸ものしり図鑑』より
(花咲一男、(株)主婦と生活社、p261、2000/1/24)

贈答品
「贈答品を購入?」
江戸のお菓子屋には2種類ありました。
一般庶民向けを主に商いをしていた店。
上層階級抜けで、御所や幕府の御用を扱った御用菓子屋です。
上に掲載した絵は後述の御用菓子屋にあたります。
大名の屋敷などに出入りをしており、店頭販売はあくまでその余り物を販売しているにすぎません。
しかしそれでもかなり繁盛していることが絵からもうかがえますね。
「和菓子で蔵が建つ」といわれたことも納得できます。

みず引き
「みず引きがかかった木の箱」
みず引きがかかった木の箱がありますが、これを贈答品とします。
自分の家に持ち帰って、みんなで食べるということはしませんでした。
値段は一箱で一分、二分ぐらいになります。
非常に高価ですね。(^o^)
(現代で言うと、何万円ということになるでしょうか)

お芝居の中で「元京菓子職人・真次郎」とありました。
京菓子は、京都がルーツのお菓子のことです。
和菓子の本場は京都ですよね。
ゆえに京都のルーツを持っているということはお店のステイタスになりました。
また大名家とのつながりが深いということもお店のステイタスの一つになります。
そのつながりの深さは、菓子屋の主人が「幕府のお庭番を兼ねる」という説が出るくらい屋敷の奥に入ることができました。

菓子店,招牌,看板
「菓子店の招牌」
近世風俗史(一)』より
喜田川守貞、岩波文庫、p228、1996/5/16)
江戸の和菓子屋にはたいてい右図のような立体看板が店頭に置いてあります。
逆に京都・大阪といった上方の菓子店には、右図のような立体看板はなかったそうです。
(まぁ京都でわざわざ京都のお菓子だよ!って宣伝しても意味がありませんしね。(^^; )
お菓子を蒸すときの蒸籠(せいろ)の形をしていて、文字を黒漆にて「京御菓子(きょうおんかし)」と書かれています。
■接待における最終兵器・お菓子■
贈答品として使われたお菓子。
接待などの最後に相手に差し出すわけですが・・・このお菓子が接待の運命を決めるほどの威力をもったものだったとか。
なんでも、接待に慣れ親しんできたお役人達は、たいへん甘い物に対する舌が肥えていたそうです。
「ちょっと予算を削ってこの羊羹を買いたかったけど、近頃台頭してきたこちらのお店の羊羹でいいや。予算も三分の一になるし」
ということで、お菓子の値段をけちったところ、お役人が一口したところでなんと「交渉決裂」になったという話があるそうです。
「俺をだましてどうする?そんな人をだますような藩とは取り引きしない」
ということなのでしょう。

羊羹一つで決まる・・・というのも、なんだか面白い話ですね。(^o^)
■一般庶民達のお八つ■
江戸時代の庶民のお菓子としては、焼き芋・飴が人気でした。
寺子屋(注:江戸では手跡指南)帰りの子供達が、さぞや喜んで食べていたのでしょう。

●焼き芋●
贈答品
「やきいもの繁盛」
絵本風俗往来』より
(菊池貴一郎、青蛙房、p333、S50/9/15)

江戸時代において、冬ともなれば焼き芋は簡単に手に入れることができます。
その様子は「絵本風俗往来」に以下のように記載されています。
江戸市中町家のある土地にして冬分に至れば焼き芋店のあらぬ所はなし。また、町々木戸際なる番太郎の店にては必ず焼き芋を売る。
~ 『絵本風俗往来』より ~

薩摩芋,看板
「薩摩芋の行灯看板」
近世風俗史(一)』より
(喜田川守貞、岩波文庫、p236、1996/5/16)
つまり、「冬になればいたる所に焼き芋の店ができ、長屋の木戸の側にある番太郎のいる番小屋で必ず売っている」ということです。
これだったら、寺子屋帰りの子供達も気軽に買うことができたはずですね。
右図にあるような看板を見やすくしたものが「守貞漫稿」にも掲載されています。

この行灯には「八里半」と書くことが多かったそうです。
なぜかと申しますと、
「栗の味に似て、わずかに劣るもの」
だからだそうです。
栗を「くり」として、「九里」と読みます。
つまり、「九里にはちょっと足らない八里半」ということですね。(^^

でも京坂では「十三里」と書くそうです。
これは「栗よりも旨い」ということだそうです。
なぜか?
「栗より」を「くりより」として「九里四里」と読みます。
9+4=足して「十三里」、ゆえに「栗より旨い」と。
初めて読んだときは何のことだか全然分かりませんでしたけど、こう言われると「あ、なるほどなぁ~、上手いなぁ~」って納得。
こういう所からも江戸人って面白いなぁ~って思いますね。

冬に焼き芋を売っていたとなると、では夏は?と思うかもしれません。
夏場はさすがに焼き芋ではなく、豆を売っていました。
炒り豆を袋にいれて、一袋四文で売ります。
(今で言うとだいたい百円くらいでしょう。)

●飴(あめ)
ひえや粟(あわ)を使ったおこしなどがあります。
おこしはひや・粟を蒸して、乾かしてから炒ったものに水飴と砂糖を加えて棒状に固めたお菓子です。
米を使わないで済むので安く済みます。

焼き芋同様、飴も庶民には大変人気がありました。
ゆえに飴を商う行商人もたくさんおりました。
飴を商う行商人は、奇抜な格好や、唄や踊りをするので大変人気があったそうです。
そのほんの一部を紹介いたしましょう。

●飴細工●
飴細工
「飴細工」
近世風俗史(一)』より
(喜田川守貞、岩波文庫、p267、1996/5/16)
飴を使って、巧みに鳥獣草木等の形を造り、、一寸二寸くらいの板に粘します。
主に子供の玩具として扱い、食べる子供はほとんどいなかったそうです。
でも、ただの平べったい飴が徐々に鳥や犬などの形に変わっていくのですから、その様子を見ている子供達には、とても面白くうつったことでしょうね。

●お萬が飴●
お萬が飴
「お萬が飴」
和菓子ものがたり』より
(中山圭子、朝日文庫、p229、2001/1/1)
女性のように見えますが、実は男性が女装をしております。
「おまんが飴じゃに一丁が四文」
という売り声で売り歩きます。
飴を買うと女の身振りをして
「ほんに思へば、きのふけふ、小さい時から、おまえにだかれ云々・・・」
と常磐津節を歌ったそうです。
なかなか凄い売り方ですけど、なんでもこの「お萬が飴」が大流行したときがあったとか。
飴売りが作った流行ですか・・・凄いものですね。
ほかにもいろんな飴を商う行商人がいるのですが、あまりにもいっぱいいるので掲載しきれません。
「唐人飴売り」「とっかえべえ」という飴売りについてはお菓子の項目にて紹介しております。
そちらも参考にしてみて下さい。

参考文献にちらっとめくるだけでも、土平飴(どへいあめ)、孝行飴、江戸の下り飴売り、鎌倉節の飴売り、千年飴売り(千歳飴)、狐飴売り、念仏飴売り、その他多数・・・非常に多いなぁ。
それだけ庶民に親しまれたお菓子だったのでしょうね(^^

●出演者への質問●

【質問:】どんなお菓子を食べましたか?

●伍代さん●
私はね、卵の黄身? お饅頭の中の黄色い餡みたいなもの? 黄身餡とか、大好きなの。 プリンも大好きだし、カステラも大好きなの。 甘い物大好き。
●重田さん●
今まで一番おいしかったなぁ~って思うのは・・・
おばあちゃんが作ってくれた・・・あの・・草、じゃなくて。
【魁:】草っ?Σ( ゚д゚)
アハハハハハ!(爆笑)
は、葉っぱに包んでいる団子とかっ、自分でヨモギをとってきて作ってきてもらったものとか。
後はおやつのお芋の天麩羅とかだったりとか・・・
思い出すと、やっぱりそれがおいしかったね。
●川崎さん●
そうですね・・・僕は和菓子よりもチョコレートが好きで。
それで食べ方にもこだわりがあるんですよ。
チョコレートを冷凍庫に入れるんです。
それで一挙に食べないで、ぱりっと割ってまたしまって・・・(笑)
まだ気がついた頃にぱりっと割って冷凍庫にしまうっていう。(笑)
それが好きなんですよ~。
●高崎君●
【金:】君、今何年生?
五年生です。
【金:】駄菓子屋とか行く?
あ、はい。
行くっていうか、ママがよく「練りきり」とかいう饅頭を・・・
【杉:】あ、あれは上生菓子で、高級品ですよ~。(笑)
【金:】高級品なんだって~!近頃の子供って「これおいしいよ。あまり甘くなくて」とかって言うんだよね~。
●杉浦先生●
甘い方の砂糖ではなくて、左の方の左党なので、あまり詳しくないのですが・・・
ただたまにおいしいなぁって思うのが、お菓子とはいえないのかもしれませんが、沖縄の黒糖。
あれでウイスキーとかブランデーとか舐めるとおいしいですね。
●由紀さん●
私お菓子大好きよ~。
(和菓子も洋菓子も)どっちも好きですけどね、最近は小豆っぽい方が多いかなぁ。
大福でも、ちょっと甘みを控えたこし餡とか粒餡でも両方大丈夫。
あんパンも好きだし、おほほほほほ~、大好き。(笑)
それと小さいときにいろんな駄菓子で面白いものあったし。
変わり玉とかなんて懐かしいな~って。
色が変わっていくもんね。
●魁さん●
あれなんていうんだろう?
爆弾霰っていうのかな?ポン菓子っていうのかな?
オートバイで来るんだ。
知ってる?
お米持っていくとさぁ、やってくれる爆弾霰っていうのかね?
あれ好きだったな。
来るのが待ち遠しかったもの。
●金造さん●
僕はね~、誕生日のケーキっていうのに憧れましてね~。
いっぺんもやってもらったことがないんですよ。
家が貧乏だっていうことと、私の誕生日が12月29日でね、年の瀬なんだよ。
だからね?
「今日は私の誕生日だよ?ケーキとか買わないの?」
「何をいってんだよ、もうすぐ正月だよっ!!」
って。(笑)
だからね、私ね?
働くようになって自分でお金を稼げるようになったらね。
自分の誕生日のケーキを買うのが夢だったんだよ。
で買ってね?誕生日おめでとうございますってチョコレートで書いてもらってね。
一人で全部食ったら・・・胸焼けしました。(ToT)

また来週お会いしましょう!(^o^)/~~

■参考文献■

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