◆お芝居情報◆

【放送日】2002/1/10   【お芝居】お重も歩けば富くじに当たる

配役 出演者名
長屋の住人 金太 桜 金造
神主 和吉 えなりかずき
長屋の住人 三次 魁 三太郎
長屋の住人 お重 重田千穂子
軽師屋(ちょうじや)の女将 お八重 水谷八重子
暦売り 詢吉 石原詢子
大家 竜右衛門 金田龍之介
お江戸でござる オリジナルソング
曲名浜唄
作詞たきのえいじ
作曲岡 千秋
石原詢子



●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●当たり富の半分を皆で大盤振る舞いするという決まり
「富くじに当たったら、隣近所に大盤振る舞いするのが決まりなんでぃ!」
と大家の竜右衛門さんが言ってましたが、そんな決まりはありませんね。(^^;

ただ、富くじが100両当たったからといって、そのまま100両をもらえるわけではありません
お芝居の中の台詞にもあったとおり80両しかもらえません。
というのは
手数料(1割:10両)を神社に納入
次の富の購入資金(1割:10両)
を取られてしまうからです。
ですので100両当たっても、もらえるのは80両になります。
でもその10両で買った次の富が、また当たってしまったら・・・大変なことになっちゃいますよね。(^^;

●年が明けても暦を売っていた暦売り・詢吉
暦売りの売り始めは10月20日頃で、年内には売り切ってしまいます
年が明けても売っているということは・・・よほど景気が悪いか売り方が悪いかのどちらかだったのでしょう。
「歌う暦売り・詢吉」
とまであだ名されているので、理由は後者ではなく景気が悪かったのでしょうね。


●大江戸暦事情●

■江戸時代の暦■
江戸時代に採用していた暦は、現代のような暦ではなく 「太陰太陽暦」(たいいんたいようれき)という暦を使っていました。
この太陰太陽暦というのは、太陽の運行と月の運行の両方を観て、月の満ち欠けを中心に変遷する暦です。
なんだか言葉で説明すると難しいので、図を用いながら説明いたしますね。(^^;
まず、この「暦」について少し学んでから、江戸時代の暦事情に入りることにしましょう。
■太陽暦(たいようれき)
「太陽暦」とは、その名の通り、太陽の運行によって変遷する暦です。
つまり地球が太陽を一周する365日を一年間として、暦を作成します。
太陽の動きと変遷(へんせん)しているため、暦を見れば季節の時期が一目でわかります
(例:12月は冬だから、寒い。7月は夏だから暑いなど)

ただ公転周期(太陽を一周する周期)は、正確には365.242日となっております。
そんため、何年も365日で計算していると微妙がずれが生じてきます
これを補うために「閏年」が作られ、4年に一回一日が追加されるようになりました。
■太陰暦(たいいんれき)
太陰暦 次に「太陰暦」という暦についてです。
太陰暦は、月の運行によって変遷する暦です。
月の満ち欠けによって、暦を作成しているわけです。
新月から始まり満月となって、再び新月になるまで、約29.5日かかります。
この29.5日を一ヶ月として暦を作成します。
(29日と30日を交互に使うことにより一ヶ月としました。これを大小月です。)
そうなりますと、必ず月の15日が満月となりますので、わかりやすいですよね。

太陰暦の一年間は354日となります。
(29日×6ヶ月+30日×6ヶ月=354日)
それゆえ太陽との公転周期とかみ合わず、使いつづけていると季節との大幅なずれが生じてきてしまいます
(3年経つと、なんと一ヶ月もずれてしまいます)
太陰暦のずれ

■太陰太陽暦(たいいんんたいようれき)
太陰暦の弱点を補うことによって作られたのが「太陰太陽暦」です。
日本の旧暦にあたるのがこれになります。
季節とのずれを調整するために、19年に7回閏月を挿入します。
(つまり、正月が2回あったり、4月が二回あったりするわけです)
ただ閏月があったり大小月があったりなど、季節を知るには都合が悪かったため、二十四節気(にじゅうしせっき)等を利用して、暦と季節を合わせていました。
■季節を表す二十四節季■
二十四節気は、太陰暦での弱点であった季節との狂いを直すために作られたものです。
太陽の通り道である「黄道」を15度ずつに24等分します。
その各地点に、太陽が位置する月日に季節の名前を付けたのが二十四節季です。
ゆえに各節季は、均等に約15日間となり、各季の間隔はいつも同じです。
これが太陰暦に導入されることによって、太陰太陽暦へとなります。
(太陽の運行と月の運行の両方に左右される暦になるわけですね)

ちなみに暦に閏月を挿入する際には、この二十四節気の「中」がない月に閏月を挿入することになっております。
(つまり、立春・啓蟄・清明・立夏・芒種・小暑・立秋・白露・寒露・立冬・大雪・小寒)
この「中」というのは、月名と一緒に呼ばれるものです。
例えば
「雨水がある月は、月名を正月にして正月中である」
「春分のある月は、月名を二月にして二月中である」
というような意味を持っております。
このようにしておけば、太陰暦なので春分がずれても「二月中ではある」ということで、年による日付と季節のずれを30日以内に納めることができるのです。
(30日以上になったら、閏月を挿入すればいいわけですから)

各節季は、節と中が交互にくるようになっております。
「節」というのは節目という意味で、「中」は月の真ん中ということを指すのでしょうね。

二十四節気 旧暦(新暦) 意味
立春
(りっしゅん)
正月節
(2/4頃)
冬と春との分かれ目であり、この日を年越しと考える風習があります。
この日から春ということになりますので、はじめて春の気配があらわれてくるという意味です。
春立つ、春くるなどと共に春の季語となっています。
雨水
(うすい)
正月中
(2/19頃)
いままで降った雪や氷が溶けて水になり、雪が雨に変わって降るという意味です。
雨水の頃から農耕の準備が始まります。
啓蟄
(けいちつ)
二月節
(3/6頃)
長い間土の中で冬ごもりをしていた、いろいろな虫たちが穴を啓(あ)けて地上に這い出してくるという意味です。
春雷がひときわ大きくなりやすい季節でもあるそうです。
ちなみにこの啓蟄、難しい字だったので、武之介は最初読めませんでした。(^^;
春分
(しゅんぶん)
二月中
(3/21頃)
昼と夜の時間がほぼ同じになります。
春の彼岸の中日と一般的にはいっています。
これは皆さんにとっても馴染みのある二十四節気ですね。
清明
(せいめい)
三月節
(4/5頃)
春先の清らかでいきいきした様子を意味しています。
安倍清明を連想してしまった武之介ですが、どうやらこの清明というのは「清浄明潔」を略したものだそうです。
穀雨
(こくう)
三月中
(4/20頃)
春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑をうるおしてその成長を助け、種まきの好機をもたらすという意味です。
春の季節の最後の節季となります。
立夏
(りっか)
四月節
(5/6頃)
山野に新緑が目立ち始め、風もさわやかになって、いよいよ夏の気配がかんじられてくるという意味です。
暦上は夏となりますが、気候的にはまだ春の陽気だそうです。
小満
(しょうまん)
四月中
(5/21頃)
万物しだいに長じて満つるという意味です。
麦の穂が成長し、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える準備などを始める頃です。
気象的には梅雨の時期が始まるそうです。
芒種
(ぼうしゅ)
五月節
(6/6頃)
芒種とは芒(のぎ)のある穀物、すなわち稲を植え付ける季節を意味しています。
かまりきや螢や現れ始め、梅の実が黄ばみ始めます。
夏至
(げし)
五月中
(6/22頃)
夏季の真ん中で、梅雨の真っ盛りで、農家は田植えに繁忙をきわめる季節です。
昼がもっとも長くなり、反対に夜がもっともも短くなる日です。
これも皆さんには馴染みの深い、節季ですね。
小暑
(しょうしょ)
六月節
(7/7頃)
梅雨があけ本格的な暑さがはじまる頃です。
蓮の花が咲き始め、鷹の子が巣立ちの準備を始めます。
大暑
(たいしょ)
六月中
(7/23頃)
ますます暑くなり、酷暑の季節です。
桐のつぼみがつき始め、大地が潤って蒸し暑くなり、ときどき大雨が降る。
夏の土用はこの季節に入る。
立秋
(りっしゅう)
七月節
(8/8頃)
はじめて秋の気配があらわれてくるという意味です。
実際には残暑が厳しく、平均気温がピークに達する頃です。
ひぐらしが鳴き始め、深い霧が発生します。
処暑
(しょしょ)
七月中
(8/23頃)
暑さがやむの意味です。
涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さも収まり、綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫の候も目前の頃です。
白露
(はくろ)
八月節
(9/8頃)
白露とは「しらつゆ」の意味です。
秋季も本格的に加わり、野草に宿るしらつゆが、秋の趣をひとしお感じさせる頃です。
秋分
(しゅうぶん)
八月中
(9/23頃)
春分と同じく、昼と夜との長さがほぼ等しい日です。
この日は彼岸の中日でもあります。
雷が鳴らなくなり、虫は地中に隠れ、水が涸れ始める。
寒露
(かんろ)
九月節
(10/8頃)
寒露とは、晩秋から初秋にかけて野草に宿る露のこと意味します。
この頃は五穀の収穫もたけなわで、農家ではこのほか繁忙をきわめます。
雁が渡ってき、菊が咲き始め、こおろぎがなきやむ頃です。
霜降
(そうこう)
九月中
(10/23頃)
秋も末で、霜が降りるという意味です。
早朝など所によっては霜をみるようになり、冬の到来が感じられてくる頃です。
楓や蔦が紅葉し始めます。
立冬
(りっとう)
十月節
(11/8頃)
日足も目立って短くなり、冬の気配がうかがえるようになるという意味です。
つばき、水仙が咲き始め、大地が凍り始める頃です。
小雪
(しょうせつ)
十月中
(11/23頃)
本格的な降雪はないものの、遠い山嶺の頂には白銀の雪が眺められるという意味です。
冬の到来を目前に感じる頃で、北風が木の葉を吹き飛ばし、みかんが黄ばみ始めます。
大雪
(たいせつ)
十一月節
(12/7頃)
山の峰は積雪に覆われているという意味です。
いよいよ冬将軍の到来が感じられる頃です。
熊も冬眠に入り、南天の実が赤く色づきます。
冬至(とうじ) 十一月中
(12/22頃)
昼がもっとも短くなり、夜がもっとも長くなる日です。
鹿の角がとれ、雪の下から麦がのびてくる頃です。
この日には、冷酒を飲んで、ゆず湯に入る風習があります。
小寒
(しょうかん)
十二月節
(1/5頃)
小寒とは、寒さがまだ最高までいかないという意味です。
しかし本格的な冬の季節でありますので、寒風や降雪に悩まされます。
キジが鳴き始め、泉の水が心持ち暖かみを含んできます。
大寒
(だいかん)
十二月中
(1/20頃)
極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期という意味です。
沢は凍り付いていますが、蕗の花が咲き始めるなど、春はもうすぐ間近に迫ってきています。

■江戸時代に使われていた暦■
江戸時代にも現代のカレンダーのような様様な暦が使われておりました。
ここでは、その中のいくつかを紹介したいと思います。

●柱暦(はしらごよみ)
柱暦
「天保11年(1840)の柱暦」
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P111)
文字通り、柱に貼ってある一枚刷りの暦です。
たいていどの家にもありまして、4文~8文ぐらいで購入することができました。
暦売りなどから買ったり、暦問屋で購入したりするわけです。

当時の暦は「太陰太陽暦」ですから、「大の月」「小の月」があります。
この大の月、小の月というのは、毎年毎年変わります
ですから、去年の正月が大の月だったけれども、今年の正月は小の月、来年はまた小の月と規則性がありません。
ゆえに暦がないと、その月が大の月なのか小の月なのか、当時の人々も判断することができませんでした。

また、閏月があるかないかを知るためにも、暦は必要でした。
もし暦が無くて閏月の存在をしらないと、
「衣替えの時期を間違ってしまう」
「質屋の利子を2度払ってしまう」
など、いろいろ不都合がでてきてしまいます。

それにしても、この閏月。
例えば正月が閏月になってしまった場合、正月祝いなどは行ったのでしょうかね?(^^;
私としては楽しい正月が連続してくるので、嬉しい限りだったりしますけど。(^^;
(でも何でも面白おかしく楽しんでしまう江戸っ子達なら、「今月も正月だ!」とかいって、騒いでいてほしいなぁ)
もしどなたかご存知でしたら、教えてください。

●絵暦(えごよみ)
絵暦
「明和3年(1766)の文字絵大小」
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P119)
柱暦だけでも機能的には十分なのですが、せっかく家に貼るものですから楽しい物を!ということから暦も工夫されまして、「絵暦」が作られました。
この絵暦、一目見ただけではとても「暦」とは見えません。
でもよ~く絵を見てみると・・・ちゃんと暦になっているんですよね~。

ちなみに、左の絵暦はいつの暦なのかわかりますか?
(ちなみに武之介はなんとかわかりました。(^^;)

解答を掲載しておきますね。
≪絵暦の解答≫
明和三年小の月
明和三年小の月
ひのへ
ひのへ
二、四
二、四
七
十
十二 十二
となりますので、答えは
明和三年丙年、小の月は二・四・七・十・十二
た、たぶん合っているはず・・・間違っていたら
「間違ってるぞ、このヤロー!」ヽ(`Д´)ノ
とツッコンデやってください。

より懲りに凝った絵暦をお年玉代わりに配ったのが大好評となり、コンクールのようなものまで行われるようになりました。
このコンクールというのは、明和二年酉の年、大小の会というものです。
この会では絵暦に美を尽くし、画会のごとく優劣を定めたそうです。
この会での絵暦の出典ルールはただ一つ。
「大小が入っていれば良い」
という事だけだったそうです。
(大の月・小の月の判別がつくこと)
彫師や摺師にとっては、さまざまな技術上の試みを実行に移せる絶好の機会だったことでしょう。
四度摺り・フキボカシ・墨流し・空摺(からずり)・緊迫と空摺の併用など、それ以前のものにくらべて技術的な発展が多々みられました。
なお、この会にて絵師の鈴木春信が名声を博し、後の豪華絢爛な錦絵に繋がっていきました。
つまり、絵暦が錦絵の元になったのです。

●絵暦(更にもう一つ)
絵暦
「天明3年(1783)の語音大小」
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P121)
これは天明三年の兎の暦です。
これも暦なんだそうです。
・・・
・・・
・・・
はっきり言って、一目見ただけではわかりません

左の絵暦はいつの暦なのか、お分かりなりますか?

≪絵暦の解答≫
癸卯の年 兎の背中に書いてある字は「癸」(杉浦先生は「ひのえ」とおっしゃっておられましたが、これは「みずのと」ではないでしょうか?)で『癸卯の年』
天明三年 「てんさん」と書いてありますので、『天明三年』

小鯛小鯛 大根大根大根大根 小大小大大小大小大小大小
(左)の図には小さな鯛「小鯛」が2匹ということなので「小鯛小鯛」
(中)の図には大根が四本(杉浦先生が4輪と数えられておられましたが、どっちなのでしょう?)なので、「大根大根大根大根」
(右)「小鯛小鯛大根大根大根大根」でなんのこっちゃ?
    しかし!!これを「こだいこだいだいこだいこだいこだいこ」と読みます。
    すると「小大小大大小大小大小大小」となります!!
    つまり・・・これは「大小の月」の順序を表しているのです。
    一月が「小の月」、二月が「大の月」となるわけですね。
    覚えづらい大小の月の順序も、こうやってリズム良く覚えちゃうわけです。(^o^)
■暦を売る暦売り・暦問屋■
暦売り 暦売り
「暦売り」
江戸府内絵本風俗往来』より
(菊池貴一郎、青蛙房、S50/9/15、P29)
暦は、暦売り暦問屋を通して購入することができます。
暦問屋は、他の問屋同様に株仲間の組織であります。
11件と人数を限定されていて、それ以外の者は暦の版行を行うことはできませんでした。
暦売りはその暦問屋に属していて、暦問屋から版行された暦を庶民に売り歩いていました。

京都などでは、暦問屋のことを大経師(だいきょうし)と呼ぶそうです。

現代のカレンダーには、一言書いてあるカレンダーなどをよく見かけます。
江戸当時の暦にも、そのような一言書いてある暦が売られていました。
その他にも
・今年の重大事件
・奇談・珍談
・手相・人相の運勢
など、閉じ暦として読み物としても楽しめたそうです。

現代のカレンダーを観ると「綺麗だなぁ~」と思える物はたくさんありますが、「面白いなぁ」って思えるカレンダーってなかなか見ることがないですね。
面白さよりも、一目でぱっとみて日付がわかるカレンダーが求められている証拠なんでしょう。
(曜日等の感覚がある以上、仕方ないのかもしれませんが)
暦をじっくり見つめてみると、埋め込まれている江戸人たちの遊び心が伺えます。
そんな江戸人たちをますます好きになっちゃいそうです、こんな絵暦をみてしまったらね。(^-^)

■参考になりそうな文献■
ページ内容と関連する記述が掲載されている資料のリストです。
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1近世風俗史(一)P282 「暦売り」に『来年の大小柱暦、とじ暦」。閏月のある暦は、上の詞に続けて「閏あつての十三ヶ月の御調法」と云う...』長尾武之介
ページ内容に関する参考文献をご存知でしたら、下記フォームよりご投稿いただけますと幸いです。
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