江戸時代にも現代のカレンダーのような様様な暦が使われておりました。
ここでは、その中のいくつかを紹介したいと思います。
●柱暦(はしらごよみ)

「天保11年(1840)の柱暦」
『
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P111)
文字通り、
柱に貼ってある一枚刷りの暦です。
たいていどの家にもありまして、
4文~8文ぐらいで購入することができました。
暦売りなどから買ったり、暦問屋で購入したりするわけです。
当時の暦は「太陰太陽暦」ですから、
「大の月」「小の月」があります。
この大の月、小の月というのは、
毎年毎年変わります。
ですから、去年の正月が大の月だったけれども、今年の正月は小の月、来年はまた小の月と規則性がありません。
ゆえに暦がないと、その月が大の月なのか小の月なのか、
当時の人々も判断することができませんでした。
また、
閏月があるかないかを知るためにも、暦は必要でした。
もし暦が無くて閏月の存在をしらないと、
「衣替えの時期を間違ってしまう」
「質屋の利子を2度払ってしまう」
など、いろいろ不都合がでてきてしまいます。
それにしても、この閏月。
例えば正月が閏月になってしまった場合、
正月祝いなどは行ったのでしょうかね?(^^;
私としては楽しい正月が連続してくるので、嬉しい限りだったりしますけど。(^^;
(でも何でも面白おかしく楽しんでしまう江戸っ子達なら、「今月も正月だ!」とかいって、騒いでいてほしいなぁ)
もしどなたかご存知でしたら、教えてください。
●絵暦(えごよみ)

「明和3年(1766)の文字絵大小」
『
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P119)
柱暦だけでも機能的には十分なのですが、せっかく家に貼るものですから楽しい物を!ということから暦も工夫されまして、
「絵暦」が作られました。
この絵暦、一目見ただけではとても「暦」とは見えません。
でもよ~く絵を見てみると・・・
ちゃんと暦になっているんですよね~。
ちなみに、左の絵暦はいつの暦なのかわかりますか?
(ちなみに武之介はなんとかわかりました。(^^;)
解答を掲載しておきますね。
≪絵暦の解答≫
となりますので、答えは
明和三年丙年、小の月は二・四・七・十・十二
た、たぶん合っているはず・・・間違っていたら
「間違ってるぞ、このヤロー!」ヽ(`Д´)ノ
とツッコンデやってください。
より懲りに凝った絵暦をお年玉代わりに配ったのが大好評となり、コンクールのようなものまで行われるようになりました。
このコンクールというのは、
明和二年酉の年、大小の会というものです。
この会では絵暦に美を尽くし、画会のごとく優劣を定めたそうです。
この会での絵暦の出典ルールはただ一つ。
「大小が入っていれば良い」
という事だけだったそうです。
(大の月・小の月の判別がつくこと)
彫師や摺師にとっては、さまざまな技術上の試みを実行に移せる絶好の機会だったことでしょう。
四度摺り・フキボカシ・墨流し・空摺
(からずり)・緊迫と空摺の併用など、それ以前のものにくらべて技術的な発展が多々みられました。
なお、この会にて絵師の
鈴木春信が名声を博し、後の豪華絢爛な錦絵に繋がっていきました。
つまり、
絵暦が錦絵の元になったのです。
●絵暦(更にもう一つ)

「天明3年(1783)の語音大小」
『
暦の百科事典』より
(暦の会、新人物往来社、1986/3/25、P121)
これは天明三年の兎の暦です。
これも暦なんだそうです。
・・・
・・・
・・・
はっきり言って、
一目見ただけではわかりません。
左の絵暦はいつの暦なのか、お分かりなりますか?
≪絵暦の解答≫

兎の背中に書いてある字は
「癸」(杉浦先生は「ひのえ」とおっしゃっておられましたが、これは「みずのと」ではないでしょうか?)で
『癸卯の年』。

「てんさん」と書いてありますので、
『天明三年』

(左)の図には小さな鯛「小鯛」が2匹ということなので
「小鯛小鯛」。
(中)の図には大根が四本(杉浦先生が4輪と数えられておられましたが、どっちなのでしょう?)なので、
「大根大根大根大根」。
(右)
「小鯛小鯛大根大根大根大根」でなんのこっちゃ?
しかし!!これを「
こだいこだいだいこだいこだいこだいこ」と読みます。
すると
「小大小大大小大小大小大小」となります!!
つまり・・・これは
「大小の月」の順序を表しているのです。
一月が「小の月」、二月が「大の月」となるわけですね。
覚えづらい大小の月の順序も、こうやってリズム良く覚えちゃうわけです。(^o^)