◆お芝居情報◆

【放送日】1995/??/??   【お芝居】目には青葉 山ほとどぎす 人は見栄

配役出演者名
徳兵衛伊東四郎
金造桜 金造
甚蔵山田吾一
貫太栗田貫一
お由紀由紀さおり
みつ坂本冬美
清次郎本間 仁

若駒プロ

東京芝居倶楽部
お江戸でござる オリジナルソング
曲名浜唄
作詞林 あまり
作曲三木たかし
坂本冬美



●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●徳兵衛の台詞「寛永寺・増上寺を普請した」
これはかなりの大ボラになってしまいますね。
御上の大きな仕事は、半ば公務員化した専門の大工が請け負ってしまいます。
よって、民間には請け負わせることはありません

また、寛永寺・増上寺は江戸の初期に出来たものです。
もし普請したのが事実だとしたら、徳兵衛は150歳くらいになってしまいます。(笑)
まぁこれは、大ボラを吹いたということにしておきましょう。(^-^)

町大工は、大きな寺の普請は請け負えない

●かつおを夕方に食べておりましたが・・・
夕方にかつおを食べたとすると、同席なすった皆さんは「プトマイン中毒」になってしまいます。
翌朝には起きられなくなってしまいますね。

初がつおは、暗い内に日本橋の魚河岸にはいってきます。
小半刻(小一時間)ぐらいで売り切ってしまいます。
それからすぐに食べます
つまり、「朝に食べる」ことになります。
かつおはすぐに悪くなってしまうため、朝に食べてしまわなければなりませんでした。

「ひげ面を 素顔で囲む 初がつお」
つまり、「ひげも剃らない前、おかみさんはお化粧をする前」にパクパクと食べるわけです。

初がつおは、朝早くに食べる。


●大江戸初がつお事情●

■庶民達にとっての初がつお■
初がつお 長屋
「卯の花月」(国貞(三代・豊国))
図説 浮世絵に見る江戸の歳時記』より
(佐藤要人監修、藤原千恵子編、河出書房新社、1997/11/10、P46-47)

初がつおを裁いているシーンです。
これは、長屋中で・・・つまりみんなで買った1本のかつおです。
おかみさんがお皿を持ってきて、各自切り分けてもらうわけです。

熱狂したのは江戸市民だけで、上方では見向きもされませんでした。
将軍様があがられる魚ということで、お膝元の意地のようなものだったのでしょう。
年に一度のお祭りみたいなものです。
初がつおを食べるのは、お祭りのようなものだった。

初がつおの食べ方については、「江戸風俗往来」に次のように記載されておりました。
新鮮なる鰹を厚切のさしみに作り、本場の山葵に本場の醤油を以て、江戸っ子の腹を肥やしける。
(「江戸府内絵本風俗往来」 菊地貫一郎著、青蛙房、P59より)
これを読むに、現代のような刺身に山葵醤油で食べていたようです。
下魚と称され食べ方すらも現代と違っていたマグロとは、食べ方も扱い方も雲泥の差なんですね~。

初がつおを食べたら、長者番付の発表のようなもので、半年間ぐらいはスターになれるそうです。(^-^)
その気になるお値段ですが・・・
二、三十年前は、初めて来る松魚(鰹)一尾価金二、三両に至る。
(中略)近年かくのごとく昌んなること、さらにこれなし。価一分二朱あるいは二分ばかりなり。

(「近世風俗史(一)」喜田川守貞著、岩波文庫、P248より)
「(天明8年(1788))初鰹の値段については、鰹の初値が二貫五百。」
「(文化9年(1812))三月二十五日初入荷、早舟で十七本、魚河岸に入る。
うち、六本が将軍家へ。
三本が料亭八百善へ、値二両一分。
残りが一般売り。」

(「江戸物価事典」小野武雄著、展望社、P334より)
とあり、時代によってまちまちですが、お芝居の中にもあった通り、2両~3両程度だったようです。
まぁ、「程度」というレベルで表せる値段ではないのですが。(^^;
わかりやすく現代の金額に換算してみると、約24万円~36万円っ!!!!!!!!!!
(注:掛け蕎麦18文・・・360円として計算)
(注:1両=6000文で計算)
(注:時代や例えとして計算するものによって、現代換算の値は変わります)

これが、秋のモノとなりますと、値段がぐっと下がり・・
「初がつおは高価なりしが、秋の古背(旬外)に至りては、肥大なるも値二百孔(二百文)に過ぎず。」

(「江戸物価事典」小野武雄著、展望社、P334より)
となってしまい、1/10どころの話じゃなくなります。
こういったブームによって大変もてはやされた初がつおですが、時代が下がっていくに従って、沈静化していったそうです。
江戸後期~幕末などは、他の物価がどんどん上がっていきました。
それゆえ、初がつおにまで目をやる余裕が無くなっていたのかもしれませんね。


■初がつおをうたった様々な句■
●初鰹 むかでのよふな 船にのり
むかでのような船・・・というのは、船の両脇からたくさんの櫓が出ている船です。 高速船ですね。
押し送り船といいます。
非常に人件費がかかった船だそうで、鰹の値段はこの人件費によるものが大きかったそうです。

櫓は最低でも八丁櫓といいます。
中には改造船もあったらしく、もっと多くの櫓があったそうです。
鰹だけを運ぶような特別な船もあったそうです。

湘南の方からとってきて、日本橋に暗い内につき、そこから走り出していきます。

●金持と 見くびっていく 鰹売り
お金持ちの方は慎ましい人が多いので、こういった馬鹿げた値段のものは買わないということです。
ちょっと待っていれば、10日でも経てば、値段は1/10ぐらいになってしまいます。
そんなに意地を張らずに、貯金をして、ゆっくりおいしいのを食べる。
買う人は、ちょっとおっちょこちょいで、気の早い人ですね。

こういった江戸の初がつおブームに関して、上方の人たちは
「つまらないことである」
と非常に冷静に観察しているそうです。(笑)
上方の人たちは、おいしい戻り鰹を食されたそうです。

●初がつお そろばんの無い うちで買い
上の句と同じような意味ですね。
家計簿や収支決算をやっていない、どんぶり勘定な家だけが買うということです。

具体的にどういった人々が勝ったかというと、大工さんなどが多かったようです。
御祝儀やあぶく銭がばっと入った時などに購入しました。
貯金などをして買うモノではなかったようです。

徳兵衛さんの台詞の中に
「中村歌右衛門が・・・」
ということがありましたが、これは実際にあったことでした。
文化9年、初がつおが17本江戸に入ってきました。
そのうちの一本を3両で買い、大部屋の皆に振る舞ったそうです。

■庶民の普段の食事内容■
こういった初がつお等を見ると、非常に江戸の人々はグルメに見えますね。
でもその実態は、非常に質素でした。
一日五合のご飯を、塩っ辛いモノでかっ込むという状態だったようです。
(たくあんのしっぽや鰯の丸干し、佃煮等)
一汁一菜とまではいかないまでも、一汁二菜といった感じでした。

普段はこれほどのまでに質素だっただけに、
「一年に一回限りの初がつおくらいは・・・」
と、あれほどの盛り上がりを見せたのかもしれませんね。

■参考文献■

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