
鳥居清長 「三囲(みめぐり)の夕立」
『
浮世絵発華2 清長』より
((平凡社、No42、1985/5/15)

(奉公人)
女性は華美な服装ばかりで、皆、中流以上の人達ばかりです。
かさね草履と呼ばれるちょっとぜいたくなよそ行きの履き物を履いております。
真ん中の奉公人の女性が
足駄をはいております。
左の女主人に傘を持ってきたということですね。(右図)

裸足のお侍さん
当時、全国的には
下駄は原則的に雨の時にしか履かなかったのです。
普段、晴れているときには草履を履いていました。
しかし江戸では、中期以降、下駄がはやりまして好まれました。
小粋に見えたのでしょう。
絵の左端にいるお侍さん、裸足になっています。(左図)
雪駄をはいていましたが、
雨が降ってきたので雪駄が大切だという事でふところにしまっておられます。
こういったお侍さんでも大切にしたように、
履き物は高級品でした。
(下駄を懐にしまい込んでいるお侍さん。おかげで裸足。(^^)
連歯下駄 (れんしげた)
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一本の木から作りだした下駄。ちょっと高級品です。
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足駄 (あしだ)
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 (側面図)
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差し歯の丈が高い物。
減ってきたら差し歯の部分だけ取り替えればよいので、経済的でした。
後期にいくにしたがって段々低くなってきて、日和下駄(ひよりげた)になってきます。
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日和下駄(ひよりげた)
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晴天の日向きの歯の低い下駄
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江戸の好みとしては鼻緒を長く履くのが好まれるようになって、幕末になると後歯の後ろに穴をあけるようになりました。
(京都や大阪ではずっと後歯の前でしたが・・・)
更に便利なのは、庶民の履き物として、真ん中に穴をあけます。
前つぼの部分は痛みやすく、先が割れてしまったりするので、前つぼの反対側に穴をあけて両方使えるようにしたそうです。
履き物が高級な時代だったので、こうやってより長く使えるようにしたのでしょう。
故に後ろに入れるとぜいたくな感じになるのです。
(穴を後ろに入れて鼻緒を長くして履くと、一回先が割れてしまったらもう使えなくなっちゃいますからね。)
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 (側面図)
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 (裏側)
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 (鼻緒を長く)
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 (真ん中に穴)
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ぽっくり
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吉原の遊女などが履きました。こっぽりなどとも呼ばれます。
草履の表を張り付けてあり、ぜいたくであったゆえ、1750年、町人が塗り下駄をはくことが幕府によって禁じられました。
これは歩くときに出る音からこの名前になったそうです。
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中貫草履 (なかぬきぞうり)
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これも大変ぜいたくな物です。
い草の畳表を使っていて、絹の鼻緒をしかも二本使っていました。
そのぜいたくさ故に、これも禁令に引っかかりました。
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かさね草履
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奥女中とか花魁が履いていた物でした。
花魁などは、これで廊下をぺたりぺたりと歩いていたそうです。
大変歩きづらそ~。(>o<)
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雪駄 (せった)
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 (側面図)
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草履の裏に皮を貼った物。
千利休の考案とも言われております。
湿気が下からあがってこないので、路地やぬれた石の上などを歩くときに便利です。
裏にある金物をしり金といいます。
歩く時にチャリチャリ音がします。
江戸の中期以降に考案されたそうです。
革ですから、ぬれた後干しておくとそっくり返ります。
それでいばりかえって歩く人を「雪駄のどよう干し」と言うそうです。
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三枚歯下駄
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花魁道中の時に花魁が履く物です。
とても重いもので、ほんの数十メートル歩くにも四十分もかかったそうです。
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以上の様な足下のおしゃれというのも江戸も後期になってからのものだそうです。
私自身、もっと以前からあったと思っていただけに驚きでした。
江戸時代には、上記に紹介した履き物以外にも様々なものが存在しております。
詳しく知りたい方は、「
近世風俗史5」(喜田川守貞著、東洋文庫)などに詳しく掲載されておりますので、参考にしてみて下さい。