◆お芝居情報◆

【放送日】1998/12/17 【お芝居】するが堪忍、スっても堪忍

●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●小唄指南という大きな看板が門の所にあった。
当時では小唄指南ではなく
「常磐津何某~」
「杵屋何某~」
「富本何某~」
など、自分の芸名を小さな札に書いて、門口につけていました。
(「何々教えます」などの宣伝文句の様なものも無かったのです。)
それに小唄という言い方はあったのですが、ジャンルとして確立したのは明治以降であったのです。

それと、芸事に「指南」という堅苦しい言葉は使いませんでした。
この「指南」は「剣術指南」や「手跡指南」などに使われていたそうです。


●和吉を上の学問所に行かせたいのでお金が必要
当時は、推薦状と面接くらいで、他に特に試験はありませんでした。
お金もかからなかったそうです!!
(現代はお金がかかり過ぎですよね~、それに比べると何てすごい!!)
とにかく「やる気」さえあれば、いくらでも学問をできる環境だったのです。
教科書とか本はいくらでも師匠の者を借りることができたので、手ぶらで入門できました。


●岡っ引きの徳次が「俺達は御役人だ」と言った。
「御役人」というのは、同心の旦那から上を言います。
岡っ引きは御役人とは言いませんでした。
(実際、岡っ引きは奉行所の中にも入れませんでしたし、捕縛権もありませんでした。)

恩情があってお目こぼしをする岡っ引きはたくさんいたそうです。
もちろん、ゆすりたかりなどをする悪い岡っ引きもいましたが。
軽い罪人には非常に親切で、後々の就職の面倒などをみてくれていました。


●十年前に足を洗った女スリ・お由紀がいまだにスリをやっていた。
スリの手口 日本のスリの技術は、世界一のすごいテクニックだったそうです。(^^
(自慢できることではありませんが、すごいですねぇ~。)
毎日の鍛錬があって出来た技であり、人差し指と中指の二本しか使わないと言います。

とてもスマートでしなやかさが必要でした。
それゆえ、スリが投獄されると、出所した頃にはスリ稼業に復帰出来ないくらいになってしまったそうです。
故に、十年間も足を洗っていたら、とても指が動かなかったでしょう!!!
ぶつかったり、人の身体にさわったりするスリはかなりレベルの低いスリだとされています。
(今回のお芝居ではぶつかっていたので、腕が鈍っていたということで一応OKにしましょうとのことでした。)


●大江戸スリ事情●

■スリをへて盗賊になる■
スリは7、8歳から修行を積んで、14、5歳でデビュー(笑)して、20歳くらいでテクニックが絶頂だったそうです。
それ以降はだんだん衰えていくばっかりで、30歳で足を洗うか、稼業を変えるかしてしまいます。
それゆえ、30過ぎのスリはほとんどいませんでした。
30歳を過ぎて尚スリをするような者達の場合は、本職の盗人になっているか、博打打ちになっているかのどちらかだったそうです。

「ねずみ小僧」や「稲葉小僧」の呼ばれた盗人達も、もとはスリでした。
「~坊主」、「~小僧」とか名前につく盗賊は、スリ上がりの者が多かったそうです。

スリの中でよく言われる「きんちゃく切り」は、指の間に小さな刃物を仕込んでおいて、袂や懐を切っていました。
ですが、このように「切る」方はレベルが低いスリだったそうです。
上方の方は切っていましたが、江戸の方は指二本の芸術ということでした。
このように、刃物を使って懐をねらう手口から「きんちゃく切り」の名が生まれたのです。

スリのネットワークも非常に管理されておりました。
プライドが高く、素人衆のスリは目こぼしてもらえず、袋叩きに合ってしまいます。
それゆえ、素人では江戸でやっていけなかったのです。
(まあ、地方に行けば別でしたけど・・・。)
江戸では、親分と子分との間に固めの杯をして、その範囲内だけで仕事をしておりました。
ですので、フリーでスリをすることは大変命がけだったようです。
■スリのテクニック■
スリには様々なテクニックがあったようです。
伝説的なスリなどは
『往来で男性の下帯や女性の腰巻きなども遊びで取ってしまっていた』
と言います。
あるいは、
『紙入れの中から必要な額だけ取って、受け取り紙を入れてまた返す』
という凄いスリもいたといいます。
まさに、「伝説的なスリ」ですね。

他には、いきなり仲間と行って往来で喧嘩を始めます。
そして、皆が喧嘩にあっけにとられている間に仕事をするという
『集団で行うスリテクニック』
もありました。
侍にも、「刀だけ取られて気がついたら鞘だけだった」という人もあったらしいです。
江戸名物の祭りや喧嘩などの人混みは、スリの格好の仕事場だったのです。

ですが、この様な人混みの中では
『誰がスリ仲間なのかわからない』
とは思いませんか?
実は、スリ仲間では元結いの所を見ると仲間かどうかがわかったらしいのです。
スリにしか分からない特別な結い方なんだとか。
それを見て確認し、ほおをなでたり、額をたたいたりする合図で、いろいろやっていたそうです。
■スリの刑罰■
スリが捕まった場合、
江戸初期 敲き(百敲き、五十敲きなど)の後、釈放
江戸中期以降 入れ墨・敲きの後、釈放
となりました。
初期と中期以降で刑罰の中身が変わっております。
これには、次第にスリが増えてきたのが理由のようです。

スリの入れ墨 スリが捕まると、まず『入れ墨』を彫られます。
そして、『敲き(たたき)・釈放』となります。
二度目に捕まった場合も同様で、『入れ墨(二本目)・敲き・釈放』
三度目に捕まった場合もまた同様で、『入れ墨(三本目)・敲き・釈放』でした。
ここまでは、刑罰の内容も一度目と同じですね。
四度目の入れ墨・敲き・釈放・・・かといえば、実は異なります。
「仏の顔も三度まで」
とあるように、四度目は死罪となります!!

冒頭にて、スリになかなか三十代ということを言いました。
これは、四度目になってしまって死罪になってしまったという事も関係していたでしょう。
<入れ墨の刻印> スリの入れ墨 スリの入れ墨 スリの入れ墨 スリの入れ墨

●ちょこっとコラム  「入れ墨と彫り物の違い」●
『入れ墨』『彫り物』は別物です。

入れ墨とは
「入れ墨刑によって彫られた前科者の証拠」
という意味があります。
つまり、刑罰の一つとして施されるモノです。

彫り物は
「下層階級の者が背中や腕に模様や文字などを入れ墨して誇り合う物」
です。
つまり、ファッションの一つです。

ですから遠山の金さんの「この桜吹雪ぃ、散らせるもんならぁ、散らせてみやがれっ!!」のあれは
「彫り物」
ということになります。
(遠山左衛門尉景元の「彫り物」に関してはいろいろな説話がありますが・・・)

■上原漫画「スリにも上手下手が・・・」■
上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
「十両盗むと死罪」 ということがあります。
この刑罰の取り決めに面白いことがありまして・・・
スリは人を傷つけず、スマートに取ってしまうので、
「すられる方にも落ち度がある」
という被害者側の落ち度も指摘されてしまうようです。
それゆえかスリの場合は、二十両であっても三十両であっても、罪の重さには金額は関係ありませんでした。
(死罪の中にも、様々な種類があります。)
『人混みや危ない所に行くのに、懐にそんな大金を入れるのがいけない』
という考え方だったのです。

他にも空き巣に関しても、そのように金額は罪の重さに関係ありません。
これもスリと同じく
『空き巣に入られるような不用心な家が悪い』
ということだったのでした。
(ただし、空き巣の場合は昼間の空き巣の場合です。)


いろいろなスリがいましたが、すべてのスリに共通すること・・・
「人をぶったり、たたいたりして傷を負わせるのは、スリの風上にも置けねぇ奴!!」
という事が暗黙の了解だったのでした。

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