江戸は人口100万~120万という都市なので、はぐれやすいです。
それに諸国の吹き溜まりとして人々が入ってきたので、そういう所から
迷子は頻発に出るところでした。
それで、迷子対策の一つとして、
迷子石という物が各地に設けられました。
油島天神に嘉永三年に設けられたものです。
他にも、浅草浅草寺などの人の多く集まる場所に設けられました。
迷子を捜す時には、この石を目当てにして来ます。
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迷子石は油島天神のほか、一石橋のたもと、浅草寺などにもあった。
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現在、手元に資料がありません。
見つかり次第、掲載いたします。
「東都遊覧年中行事」
迷子石について、別の資料がありましたので、代用いたします。

「一石橋の迷子石」
『
大江戸ものしり図鑑』より
(花咲一男監修、主婦と生活社、p50、2000/1/4)
絵の中の石の左上の石の片側には、
「を志ゆるかた」と書いてあります。
この反対側には
「たずぬるかた」と書いてあります。
「私のところで、このような子供を預かっています。」
という内容の紙を「を志ゆるかた」の側に貼り付けていきます。
反対側には「たずぬるかた」ですから、子供の人相や特徴を書いた紙や、
「この子供探しております。」
などの内容の紙を貼りつけておきます。
それで心当たりのある方が毎日ここを見に来ます。
この石ですが、篤志家
(とくしか)が自費を通して匿名でたてました。
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湯島天神の最神の迷子石は篤志家が匿名で建てたため、庶民の評判をよんだ。
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両親と会えない子供は、その
見つかった町内にて育てます。
その費用として、
町入用(ちょうにゅうよう)という町内経費を割り当てました。
これによって面倒を見る、または親御さんが見つかるまで養育するということでした。
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迷子は町入用(地主の負担する町の経費)を使って町ぐるみで育てた。
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今回のように寺で預かったり、町の有力者が実子のように自分の家に入れて養育したりと、決して迷子だからということでたらい回しにはしませんでした。
(また、そんなことをしてしまうと、町の恥になってしまいます。)