◆お芝居情報◆

【放送日】1999/01/28 【お芝居】会えぬが別れの初めなり



●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●敵持ちが派手な衣装を身につけていた。
敵持ちが派手な衣装を身につけていた。
敵持ちは常日頃から命を狙われています。
故に、派手な衣装などを身につけて目立ってしまってはまずいでしょう?


●吾妻橋と書かれていた高欄の上に葱帽子の様な擬宝珠(きぼし)がついていた。
吾妻橋と書かれていた高欄の上に、葱帽子の様な擬宝珠がついておりました。
実は江戸の町の中の川には、擬宝珠がついた橋は三つしかないと言われています。
・東海道の基点となっている日本橋、京橋、新橋
・(その他には)江戸城のお堀にかかっている橋
時代劇での間違いやすい点として、江戸の橋というと、とかくのっけたがる癖があるようです。

擬宝珠(きぼし)
橋の高欄につける宝珠型の飾り。柱の腐敗を防いだ。


●大江戸上方商人事情●

■江戸の代表的な大店:越後屋■
江戸の大通りに大店を構えている商人のほとんどが、上方出身の商人で占められておりました。
江戸の(地元の)商人はたいへん小商人が多くて、作って売るとか、担い商い(担いで売り歩く)といった零細の商人ばっかりでした。
駿河町
歌川広重画「する賀てふ」
赤瀬川原平の名画探検 広重ベスト百景』より
(赤瀬川原平(文)、講談社、p60、2000/2/25)

大変有名な駿河町の三井越後屋の絵です。
絵の両側の建物とも越後屋です!!
駿河町の町全体が、実は越後屋なのです!!
駿河町といえば、越後屋の従業員しか住んでいないということになってしまったそうです。
三井越後屋 (みついえちごや)
伊勢松坂の商人・三井高利が創業した店。新商法で大成功した。
江戸でも随一の大店でした。
突き当たりに富士山が見えるということで駿河町という由来になっています。
大店の間口は片方が三十五間、片方が二十間。
(普通の家だと二~三間半なので十倍以上!!面積ともなると百倍以上です!!)
大変な間口ですね~。
地方から来た者は、まず大店の大きさに目を丸くしたそうです。
江戸名物の一つとなっておりました。
■上方と江戸の商売■
上方の商人は、堺、近江、伊勢、紀伊などの昔から実力のある商人なので、全国の商品が集まりました。
上方の商人の種類は大変多く、ほとんどが江戸の生活を支えていく上で必要な物ばかりでした。
例えば、布製の物(木綿、麻布)、紙製品、木材、油、米、塩、醤油となど・・・ほとんどですね!
上方からの道が閉ざされてしまうと江戸はたちゆかなくなるというくらい、大変な物質の力、経済の力でした。

江戸と上方では貨幣が違いました
江戸は金上方は銀で、他に銭がありました。
また各藩では、藩札(はんさつ)という自分たちで出している紙幣がありました。
それらの貨幣を全て即座に計算しなければならなかったので、商いにはとても才能が必要でした。
江戸は金本位、上方は銀本位の通貨制度だった。

サービスは、やはり江戸が一番と言われます。
この越後屋は、接客は日本一と言われていて、特上のお茶がさっと出まして、雨が降った場合などは屋号の入った傘を無料で貸してくれたりしたそうです。
至れり尽くせりの接客だったといいます。
ここまでのし上がるには、それなりの創意工夫があったという事ですね。
上方から進出した江戸店では、様々な工夫でサービスと宣伝に努めた。

上方の商人の偉大さを思い知らされました気がします。
がんばれ!地元の江戸商人(^^;

■参考文献■

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