◆お芝居情報◆
【放送日】1998/12/03
【お芝居】玄爺(げんのう)は身を助ける
●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家
杉浦日向子
補足
長尾武之介
◆本日の間違い点◆
●大工が人の長屋の家を勝手に直す
人の長屋の家を勝手に直すと、そこの大家にしかられます!!!
壁の破れや屋根の漏れは大家さんに訴えれば、出入りの大工さんに言って直してもらえます。
棚板一枚吊るにも大家さんに一声かけないと、屋を管理している大工さんに角が立つことになってしまいます。
●屋台のそば屋でがんばる
お芝居の中では、そば屋をやりたい故に屋台を作ってもらっておりました。
今日のお芝居の時期は、江戸後期。
江戸後期では、江戸は大変なそば好きの街でした。
4000店以上のそば屋があったそうです。
故に、別に屋台にこだわる必要はありません。
(つまりそば屋をやるにしても、屋台にこだわる必要はなかったのですね。)
●言葉の表現『借金が雪だるま式に増えていく。』
現在のような『玉を二つの雪だるま』は、
江戸時代にはありませんでした。
当時の雪だるまは、
達磨大使の石像で、かなりリアルなものだったそうです。
子供ではなく、大人が作る物でした。
(形は座禅を組むような形だったそうです。)
雪玉を丸めて遊ぶ
「雪まろげ」という遊びは、あったそうです。
●徳兵衛の住んでいる長屋の家賃は500文
一ヶ月500文だと四畳半一間くらいの長屋になってしまいます。
棟りょうと呼ばれるくらいなると、下職というお弟子さんが数人住み込みをしているのが普通です。
となると、到底四畳半では入りきりませんね。
また、棟りょうクラスの大工になると、一人でホイホイ出歩くような真似はしませんでした。
大工の棟りょうは、建築現場で監督および指導にあたるそうです。
●大江戸大工事情●
■花形職業・大工■

「目黒行人坂火事絵巻」
『
ヴィジュアル百科 江戸事情 第三巻政治社会編』より
(NHKデータ編集部編、雄山閣、1992/5/1、見開きカラー写真部)

大工は腰に「釘袋」、「まがり金」をさしております。
ちょっと離れた所(左上)で杖をついて、たっつけ袴に羽織をめしているのが棟りょうです。
現場の監督をしています。
大工には、長い修行期間があります。
弟子入り(年齢:12~14歳) (例:十三歳) |

最初の1、2年は住み込みの下働きとなります。
(現場には連れていってもらえません。)
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2年目くらい (年齢:14歳) |

親方の弁当を持って現場へ行くことができます。
しかし、道具には触らせてもらえません。
(名前を覚えるだけ。)
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3~4年目 (年齢:16歳) |

道具にさわれるようになります。
ですが、自分の道具を持つことはできません。
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8年目 (年齢:20歳) |

やっと半人前となることができます。
給金ではありませんが、お小遣いが多少もらえるようになります。
半人前となって数年間、お礼奉公として無償で働きます。
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10~13年目 (年齢:24才) |

ようやく一人前として認められるようになります。
一人立ちが出来るようになります。
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30年目くらい (年齢:44歳) |
この頃になって、ようやく『棟りょう』と呼ばれるようになります。
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■大工の賃金■
大工の労働時間は、基本的には8時間くらいです。
しかし、八時間の労働時間の内、
・午前(10時くらい)
・昼時
・午後(3時くらい)
に休みがあります。
ゆえに、実働郎時間は5時間くらいになります。
現代人から考えてみると、驚きの労働時間ですね。
江戸時代においても、様々な職業が存在しております。
その中でも『大工』は、
『職人の中でも格が上』
と見られておりました。
給金の支払方法からしても、他の職人と違いがあります。
普通の職人は『日銭』と称して、「銭」を受け取ります。
しかし大工に限っては、『賃銀』ということで、『銀』によって支払われました。
(日銭、賃銀の上には『年棒』というものがあります。)
(これは、『金』で支払われました)
振り売りなどの零細職人の一日の日銭は、200~300文くらいになります。
大工の一日の賃金は、幕末になりますが、5匁4分でした。
(銭に換算すると、583文)
このようにして、給金の支払い方法が違っておりました。
ですが、実生活上において最も使用されるのは「銭」であり、「銀」のままでは使い勝手が悪いです。
それゆえ、大抵は、銭に換算して支払われておりました。
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